今更すぎるが、コロナがやばい。まあ、やってる感だけ出してその場をごまかすことに集中しているのだから当たり前ではある。コロナ前は夏季五輪の熱中症が危惧されていたが、その対策で打ち水を打ち出したような行動原理が、そのままコロナ対策にも表れている。何が理由かは様々あろうと思うのだけど、とにかく根本的な対策は全てではないにしろ好みではない、やりたくないのである。そこの穴をしょうもない対策や精神論でごまかし続け、ついでに火事場泥棒的にイデオロギーを混ぜ込み、それで当人たちは真面目に今やれる事をやれる限りやっているつもりでいる。タチが悪い。

東京五輪のために国民を犠牲にしているんだ、みたいな論調も聞くが、本質的には東京五輪すらどうでもよさげな気がする。五輪に熱い思いがあるわけでも、五輪で利益を貪ろうとするわけでもなく、もはや単に対処の優先順位が高いだけの面倒事と化している。プラスコンコルド効果か。まあ、コロナよりは優先されていることには違いない。

私は都民なので都の状況が身近だし、首都なのだから最も蔓延が酷くて当然だと思うのだけど、最近は大阪とかの方が発表される感染者数は目立っている。陽性率を見ると、大阪は東京よりも検査数が不足していると思われるので、見かけよりも大阪はやばい。

しかし東京も負けてはいない。大阪の陽性率はここ数日8%弱くらいだが、東京の陽性率は数日前6%弱だったのが27日時点で6.4%と伸びている。感染状況に対しての検査数の拡充が追いついていない。検査数を増やすスピードが遅いのか、感染拡大が早いのか、両方なのか、いずれにしても感染が拡大し体制も逼迫していっているという傾向には違いない。

私はもっぱらネットばかりでテレビを見ていないし、ほとんど人と話さないので不安や緊張感を共有しておらず(なんだかんだで感情の共有は文字だけでは難しい)、世間一般の人はどんな気分なのかとかどんな風潮なのかがよくわからないところもある。この状況はどう受け取られているんだろうか。

誰とも話さず屋外で空や植物を眺めてぼんやりしていると、2年前とさほど変わらない現実の世界がある。爆撃などと違って目に見えない脅威というのは、対応する現場にいなければなかなか実感しづらいが、状況は一応モニタリングの数字である程度考察することができる。

モニタリングの数字というのは感染状況を直接表すと言うよりは、感染状況に対する体制の状況、社会がどのように対応しているかを表している。私は陽性率をよく見る。例えば陽性率が変わらずに感染者数だけが増えれば、感染が拡大し、それに対応して検査数を増やせているとなる。陽性率が上がり感染者数も増えれば、感染拡大に検査数増加ペースが対応できていないと言える。実際に都のモニタリング会議でもそういう解釈のための指標として扱われている(話はずれるが、モニタリング会議等での専門家・当事者の提言を都知事は当然直接把握しているのだが、それをリアルタイムで活かしているとは到底思えない)。

東京都は検査を絞って感染者数を少なく見せている、と言う論調の意見はよく聞くが、検査対象が選択的である限り、検査数を不適正に絞れば陽性率が上がる。例えば検査数9000件で感染者数600人とかの状況下で検査数を200件とかに減らせば、陽性率は100%に近くなるだろう(実際には50%以上くらいになると思う)。まあこれはただの例えで完全に適当な計算だけども、基本はコロナっぽい人を優先的に検査するのだから、そうした傾向になるはずだ(逆に言えば、そうした選択的な検査が成されていなければ、陽性率は指標としてアテにならない)。少なくとも陽性率を見る限り、東京都は他自治体と比べて不適正だと言えるほど検査数は絞っていないと思われる。

上の方で書いたように、陽性率を見るだけでも東京の状況悪化はよくわかる。社会として、現在の状況の悪化に対応できていないのだ。こうした指標から、もっと検査数を増やす必要があるとか、病床を増やす必要があるとか、現在の対応について検討し実施していくのが、コロナに対する社会的な対症療法になる。

しかし、これはあくまで対症療法に過ぎない。緊急事態宣言でさえ同様だ。なので、例えばワクチン接種とか特効薬の開発とかが原因療法と言えるだろうし、海外の変異株等については、渡航や来航の禁止も原因療法に入ると思う。コロナ蔓延初期であれば、緊急事態宣言等の社会活動停止や検査数の確保とそれに伴う隔離等も原因療法たり得たと思うけれども、経済との両立や検査懐疑論等が叫ばれた結果か、残念ながら十分には行われなかった。そうした流れの帰結が現状だ。

あの時経済上の損益判断がきちんと行われ、自粛に伴う補償が十分に行われ、検査数の拡大、陽性者の隔離……と、誰でも思いつく基本的な対策でもやれることをやっておけば、島国日本は今ほどダメージを受けなかった可能性も高いし、海外客は無理にしろ五輪を無事に行える可能性もあったかもしれない。しかし今それを考えても後の祭りである。

自粛や緊急事態宣言にしろ、欲しがりません勝つまではを国民に求めるのも、まあ戦時中ならありかもしれない。戦わない国民から搾り取るだけ搾り取っても、戦う軍隊には関係ない(そこまでしないといけない時点で敗戦国なのだけど)。しかしコロナ禍において、戦わない国民は存在しない。戦うのであれば兵站が十分になければ話にならないのはインパール作戦を引き合いに出すまでもなく当たり前のことだけれども、はたして現在、自粛や休業という戦闘を展開する軍隊への兵站は滞っていないと言えるのか。

まあ、そんなことを考えるのは私の仕事ではないし、私よりも真剣に考えている人が山ほどいるので、私にできるのは邪魔をしないようにして個人的に対策することくらいしかない。

私はエッセンシャルワーカーの補助みたいな職(括りによっては自分もエッセンシャルワーカーかもしれない)で、システムも在宅勤務への最適化には程遠いため、完全には出勤を抑制できない。その上情勢が悪化し毎日在宅を求められるようになると、在宅シフトの関係上、週二・三回の終日在宅だったのが週一終日・週四半日在宅に置き換わり、むしろ出勤回数が増えてしまった。本末転倒である。ついでに言えば、半日在宅だと移動時間が業務時間中に発生するので、実質的に業務時間が減っていく。コロナ対策アピールのための「毎日在宅」というパフォーマンスによって、辻褄合わせが発生して対策としてはむしろ後退するのだから滑稽な話だ。こうした構造は行政でも至るところにあるのだろうと思う。

まあ、その上でできることと言えば、マスクと消毒の徹底、会食の禁止、その他外出の抑制くらいのものである。マスクも消毒も苦ではないし、もともと会食どころか仕事以外で人と会話する機会もほとんどないので、その点は全く問題なく一年を過ごしたのだけど、外出の抑制はあまりできていない。外を歩かないと気が晴れないし、なんなら外食屋を食い支えるのだとばかりに外食ばかりしている。……一人で黙々と歩き食べているだけなので、許して欲しい。

早いとこ実家に帰ったり、恩師や恩人に就職の報告をしに行ったり、気ままに旅行したりしたいのだけど、都民の身では全くいつそれができるようになるのか見当もつかない。祖父母などは存命のうちに再会できるだろうか。ただでさえ高齢で、おまけにコロナは高齢者ほどやばいので、祖父母どころか両親すら危うい。実家の自治体ではそれほど蔓延していないのが救いではある。一方私も全く安心できる年齢ではないし、変異株も増えてますますリスクは上がっている。

そんなことを思いながら、宣言下のゴールデンウィークを迎えたところである。例年ならイベントにコミティアに旅行にと遊び呆けるところだけども、今年はコロナ情勢を抜きにしてもひたすら疲れているので、ダラダラ寝て休んで、無為に過ごすことになりそうな気がする。無為に過ごしたと感じてしまうとそれはそれで気持ちが休まらず、休みが無意味になってしまうのだけど。

とりあえず、美味しいご飯を食べたい。