尾身会長とは当然政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長のことだけども、最近は五輪についてある程度抑制的な発言が多く取り沙汰されている。無観客を提言したり、「パンデミックでやるのは普通はない」と発言して政権等から反感を買っていたりした。現在のメディアの扱いとしては概ね、政府と対立しているかのように扱われているように思う。対立構造は大衆ウケするからだ。また、五輪反対派も喜んで発言を取り上げている。

そうした取り上げ方とは別に、ネットでは一部の医師クラスタなど専門家目線から持ち上げられていたりする。彼は素晴らしい専門家であり、彼の主導するコロナ対策は適切だという。

私も尾身会長の能力を疑うつもりはない。しかし私は尾身会長がPCR検査の特異度や偽陽性について感度70%特異度99%とかいう無意味な仮定の試算を無批判に説明して検査抑制論を後押ししたのを覚えている。また、GoToトラベルの実施にあたって「移動自体は感染拡大につながらない」と言って後押ししたのも覚えている。なんなら「もしそれが起きていたら日本中感染者だらけ」とまで言ってのけた。とても適切だとは言えない。前者はPCR検査に無知か反対でなければ通すはずのない詭弁だし、後者は政府のレトリックをそのまま繰り返したに過ぎない。まあ検査の話はよくわかってないんだろうと好意的に受け止めたけれども、トラベルの件では明らかに問題を理解した上で政権におもねって詭弁を用いていたため、完全に私の中で信用を失った。そういうことをするような人なら、PCR検査の詭弁についてもわかった上であえて通したと見るのが、彼の能力的にも自然だった。それ以後、尾身会長の話は聞き流すようにしている。

PCR検査については尾身会長も拡充を主張してきたと言うけれども、その上で検査抑制論に都合のいい論理(検査体制にコストをかけない口実)をそのまま通してしまう。またトラベルのレトリックについても、旅行には当然旅行先での行動が伴うところ、旅行の定義を狭めてトラベルを正当化する以外の意味はない。その後の尾身会長の主張を見ればまあ本心ではなかったのだろうと好意的に解釈できる。

このように尾身会長個人の主張とやっていることが食い違うことがしばしばあり、しかもそれらは政権におもねった結果に見える。つまるところ尾身会長は科学的なバックボーンこそあれど、あくまで政治的な振る舞いをするのだ。まあ例えばなんでも方針に反対していたら、いかにそれが正しくともポストから排除され発言力を失うことになる。代わりに据えられるのはより言うことを聞く御用学者だろう。それならばまともな専門家が政権に物言いできる発言力を残しておきたいということかもしれない。おもねるのがまともかは知らないが。

しかしこうした姿勢が何をもたらすかは昨年から見てきたとおり、また冒頭でも述べたとおりで、賛成派・反対派様々な勢力から都合のいいように「科学」の棒にされてしまう。自分たちの主張にいかに科学的な裏付け(権威)があるかと言うための道具でしかなく、都合のいいことを言っている時だけ持ち上げてそうでない時は無視するか非難する。詭弁の材料に科学の看板は最適だ。

残念な話だが、行政はいざとならずとも専門家の意見などいくらでも無視できる。無視できないのは専門家の意見ではなく歴然とした数字のデータである(もっとも、その数字も多少ならレトリックを弄して不正なく修正可能だ)。そしてその数字を受けて騒ぐ国民も無視はできない。あえて専門家の威を借るのは国民の制御に有効だからでしかなく、そんなもの抜きでも政治家の詭弁だけで十分制御できる。残念ながら日本国民がそれほどまでにチョロいのを見透かされきっている。

尾身会長について何か言われているのを見ると、どうしても私は初めに述べた二つの詭弁を思い起こしてしまう。冒頭で触れた医師クラスタはあの詭弁についてそれが適切だったと思っているのだろうか。まあ以前にも書いたが教授や医者などの専門家がとんでもない間違いを平気で吹聴することはよくあるし、コロナ禍ではことさらにそれらが流布されたものと思われる。Twitterで見かける専門家?や医師たちの中にも冷静さを失ったり妙なことを言っている人は多い。なので本気であの詭弁が適切だったと思っている人も多分いるだろう。

Twitter上の医師の話で思い出したが、コロナワクチンについて少し考えを書きたいことがあるので、別途書くかもしれない。ちょうど最近、自治体の摂取券が届いたところだ(基礎疾患持ちなので)。