安倍元総理が銃撃された事件で、宗教(特に新興宗教)と政治の関わりについて注目が集まっている。
特に安倍元総理および自民党と統一教会の関係性について注目する人をよく見る。

20年くらい前にネット右翼的思想になびいてしまっていた人間としては、自民党(特に安倍氏)を始めとした政治家と統一教会の関係の深さはネット右翼内でもネタとして言及されていた記憶があるのだけれど、偽の記憶かもしれない。なんにしても、日本の保守勢力と朝鮮半島の親密なつながりは韓国人ヘイトの流れの中でも知られていたはずである。
それを当時のネット右翼がどう捉え総括したかは記憶にないが、たしか、相互に利用し合うあくまで思想より実利を重視した関係と解釈して受け入れていたような気がする。
本来のネット右翼的思想からすれば朝鮮半島の影響は排除する方向性を主張して然るべきなのだけれど、実際には排外主義よりも現状追認の色が濃い思想なので、そういうジレンマを抱えたまま都合のいいところ以外見なかったふりをして引き続き排外的な主張を続けるというのが、当時のネット右翼から今のネトウヨまでのありがちな流れになる。都合の悪い現実が現れた時には、ひととおり形式的に文句を言ったあと見なかったことにするか、アクロバティックな解釈で追認する方向に動く、あるいは両方を行うというのが、以前ネット右翼になびいていた自分の印象である。
あと当時のネット右翼は現在に比べて不真面目な(冷笑的態度を取る)層が多く、逆にそれがネット上で勢力を広げる要因の一つでもあったと思うのだけど、政治やマスコミを嘲笑の対象やネタとして消費することで自らの賢さを自己確認して楽しむようなノリがメインだった。なので、第一次安倍政権が終わった時には、ネット右翼内でも安倍氏は嘲笑されていたと記憶している。最近ネット上での政治談義に目覚めたような人からすれば信じられないと思う。ネット右翼の潮目が変わったのはローゼン麻生及び民主党政権誕生あたりからだろう(ちなみにこの文章内では潮目が変わる前と後で呼称をネット右翼、ネトウヨと分けている)。

その上で現在のネトウヨ界隈の今更な反応を見るに、この20年の間に世代交代が行われたような感覚を受ける。「知ってたけど何か?」で済ませようとする人が一定数現れると思っていたのだけど、意外とみんな知らないというか、「知ってた」系反応はリベラル(古めのネトウヨ風に言えばサヨク、パヨク)に多かった。
過去のネット右翼がリベラルに移行したパターンというのもあるのかもしれないが(自分もリベラルという程でないがその気はある)、当時のネット右翼はその熱意や思想を継続せず、現在で言うと冷笑系に立場を移したような気がする。その方が元々のネット右翼のノリには近い。在日を排除しろと運動するより政治に熱心な人間を嘲笑するという方に重心を置いている人間の方が当時は多かったし、そこには中韓のパクリ問題、反日教育、抗議デモ等を行うプロ市民や、政府に難癖をつけて邪魔をするしか能のない野党、そういった「インターネットの常識」が醸成される流れがあった。(先行者ネタで笑っていたのももしかしたら含まれるかもしれない)
そういう中で、安倍元総理銃撃から少し時が経つと、犯人の背景や、政治と統一教会の関係性を、「政治に熱心な人間を嘲笑する」ツールとして使う人々も増えてきて、ひょっとするとこの辺にネット右翼が分派して世代交代したのかもしれない。

そんな現状で、とりあえず自分と関わりのあった新興宗教について、政治との関連なんかも含めて雑談レベルで語ってみようと思う。ちなみに自分は統一教会とは全く関わりがなく、ネット右翼思想になびいていた頃に初めて政治癒着の流れで名前を知ったくらいである。

なお、ここで扱う宗教については、カルトと書くと別の意味を帯びるので、新興宗教と書く。例えば宗教でもなんでもなく悪質商法も行わない思想でも誤りさえ含んでいたりファナティックであったりすればカルトと呼ぶような用法があり、そのようなカルトとカルト宗教を同列に並べて相対的に宗教側の悪質さを緩和するという詭弁が、現状公然とまかり通っている。
それを置いてもカルト映画などの言葉が存在するとおり、カルトという言葉は新興宗教の実態よりもカジュアルな印象を与えてしまう。であれば新興宗教と書いた方が、ほとんど文字通りの印象しかない分、幾分実態に近いニュアンスになるだろう。

自分は新興宗教と比較的関りが強い人間だ。父方の親戚(特に祖母)が創価学会の熱心な信者であり、一応そういう意味では宗教3世にあたる。子供の頃は新年の勤行会には毎年参加していたし、地域の学会員の座談会には頻繁に祖母に連れられて行った。
稀に集まる親戚まで見れば学会員としての立場が高めの人間もいるのだけれど、我が家では強い信仰心を持つ熱心な学会員は祖母だけだったし、祖母も強く入会を勧めるようなことはなかった。
そんなわけで強制的に入会などはさせられず、個人的にも望まなかったため、自分は出生から現在に至るまで無宗教である。

創価学会と言えばやはり公明党との関係がよく挙げられると思う。創価学会員は全員公明党に入れていると思っている人も少なくないのではないか。
実態はどうかというと、当然ながら学会員も一枚岩ではない。特に末端の方は、信仰心が薄く創価学会にコミュニティを依存していない人間も一定数いる。信仰心が篤くとも、公明党の活動内容に疑問を抱く学会員は少なくない。現在の公明党あるいは創価学会の方針は池田先生の教えと食い違っている、と考える学会員もいる。(ところで、池田大作氏はまだ存命なのだろうか?)
一応自分も祖母から公明党に入れてくれという連絡は毎回受けているのだけれど、実際に誰に入れるか最終的に決めるのは自分自身であり、学会員でもそれは同様かと思われる。
なので全員が入れているとは考えにくい。個人的には、時代が進むにつれ票田としては弱体化していっているのではないかという印象をうける。
創価学会の勧誘能力は低く、現世代に訴求できていないばかりか、現学会員からも距離を置かれつつあるという風に自分には見えている。
末端の現学会員から実際に出てきた発言として「ご本尊さえあれば学会などいらない」というのをこの耳で直接聞いたことがあるくらいである。創価学会上層部の方針と末端学会員の信仰心に乖離が生じているということだろう。その場に同席していた役職持ちの学会員からは、これでは末端学会員の心には届かないだろうというような言葉ばかりが発されていた。
あるいはそういった弱体化を権力志向・公明党の存在でカバーしようとしているような印象も受けた。
圧倒的カリスマの池田大作氏も不死身ではない。創価学会は今後困難な時期に突入することだろう。

あと、これは実家が創価学会の信者である人間の言うことと意識して読んでほしいのだけれど、個人的には創価学会はあまり悪質な宗教団体であるとは思っておらず、わりと肯定的な見方をしている。
地方都市に出てきてコミュニティを持たなかった頃の祖母、現在の年老いてコミュニティとの縁を持ちづらい祖母が、創価学会の信仰およびコミュニティからある種の救いを得ているのは否定できないからだ。
金銭的な面で言えば、現状、創価学会へ我が家から流れている金のルートは聖教新聞くらいなのではないか。創価学会よりもその辺の訪問販売の方がよほど祖母を騙して家計に打撃を与えている。話し相手として仲良くなった後に高額なしょうもないマッサージ機や布団等を売りつけてくる。勘弁してほしい。
新興宗教には「お仕事」が当然あるのだけれど、創価学会のそれもだいぶ緩いという印象がある。それこそ自分に公明党投票の電話をかけてくるくらいで、あとは毎日ご本尊に向けての南無妙法蓮華経の読経である。あと、座談会等で人間関係を保てるならそれでいいという気持ちもある。
とはいえ初期費用は大分かかったのかもしれない。ご本尊を祀る祭壇みたいなものとか。人間革命やら創価学会の発行物にもいくらお金がかかったかは知らない。
教義的にも、極端な主張はそれほど見られないように思えるし(やたら勝利のために闘争を求めていたり他宗教を攻撃したりしているのは聖教新聞の寸鉄を読めばわかると思うが)、それは政治的主張にあまり影響していないようだ。そこが末端学会員の不満の元でもある。このあたり、現在取り沙汰されている統一教会とは対照的に思える。統一教会はそれこそ過去の自民党改憲案に教義が反映されたのではないかという疑いが持たれるほどだが、公明党はなんかその辺の政治的方向性が宗教母体の教義とズレているようだ。

というわけで、個人的にあまり害を受けていないのと、政治と宗教の関わりというには政治面と宗教面でかなり隔たりがあるように思われるので、組織票以上の意味はないような気がする。この辺、現に創価学会の被害を受けている人には申し訳ないのだが、自分個人の実感からするとそういう認識になる。
とはいえ自民党との連立与党として公明党が存在する意義は、学会員に対して大きなアピールポイントではある(上記の役職持ち学会員もしきりに公明党の立ち位置をアピールしていた)。
このような新興宗教(に限らずコミュニティ提供サービス)では、自分たちの団体がいかに(権力的であるか霊能的であるかを問わず)力のある団体かを信者に信じさせるか、要するに箔をつけるかが重要になってくる。なので議席を持っているのは大変重要なことだし、自分も二十回くらい行った新年勤行会では、創価学会員の芸能人の名前も挙げられることがあった。

団体の箔付のために政治や著名人を利用するのは、まさに安倍元総理やトランプ元大統領にメッセージを依頼していた統一教会を思わせる。

新興宗教と言えば、自分の人生の中では幸福の科学も外せない。
子供の頃から通っていたピアノの個人レッスンの先生が、ある時から幸福の科学にハマったのだ。それより前には何やらマルチ商法っぽい酢にもハマっていたので、まあ騙されやすい人だったのかもしれない。レッスンで訪れる部屋には、大川隆法氏の顔写真や、幸福の科学の金色のロゴマーク?エンブレム?が飾られるようになった。
その後も普通にレッスンには通っていたため、我が家が創価学会であるとも知らずに幸福の科学の書籍やら映画チケットやらをプレゼントしてくるようになった。当然、感想を伝えなければならない。
おかげで特に本を捨てもしない我が家では、人間革命と太陽の法が同じ部屋に置いてあるし、二・三回ほど幸福の科学映画を観に行かされた結果、「永遠の法」とかいう一周回って笑えるトンチキ映画に出会ってしまった。
なんにしても、これはけっこう信者からの搾取や宗教外の人間関係の断絶を狙う効果が大きい「お仕事」であると言える。幸福の科学関連商品を信者に大量に買わせることで売り上げと広報に利用し、さらにそれを宗教外の人間関係へ配布させることで、むしろ宗教外の人間関係が希薄化し孤立していく。
その頃幸福の科学は政界進出をしていなかったが、ピアノの先生の部屋には幸福の科学の書籍が多数置かれていたので、自分もそれらを暇つぶしに読んでいた。
特にリバティーという雑誌ではネット右翼系の主張が強く、幸福の科学がそのあたりの層を信者候補として狙っているのがよく見て取れた。
後に幸福実現党として政界進出した時には、その主張内容がリバティーとほとんど変わりないのを見て納得したところもある。
ちょうど今回の安倍元総理銃撃事件に際して、大川隆法氏が安倍氏の霊言を出してみたらしい。絶望的に空気が読めていない。そのあたりも含めて、あくまで幸福の科学としては有望な布教対象としてネトウヨ層をとらえているだけというのが浮き彫りになったような気もする。

その他にはほとんど宗教としての関わりはなかったものの近所にエホバの証人やモルモン教が広まっていたし、マイナーな新興宗教だと思うのだけど、教祖がハワイに住んでいるという新興宗教を友達の家族が信仰していた(あれはなんだったのだろう)。
その他にも天理教とか色々日本には新興宗教があるが、このあたりは政治に深く関わっているというレベルではないように思われる。
中国発の法輪功は大紀元などを通じて世界のオルトライト層に影響を与えていると思われるが、直接的な癒着と言えるほどの関わりは確認していない。
日本において政治と宗教の関わりと言えばやはりまず統一教会、創価学会であろう。

さらにもうひとつ挙げると、神社本庁はそれらと同等程度に政治に食いこんでいる宗教団体かもしれない。そしてその名称や、神社を包括する宗教法人というところからは認識しづらいが、法人としての成り立ちのみを見ると意外にも新興宗教に近い、新しい組織である。
神社本庁と草の根保守団体「日本会議」の関係、日本会議と新興宗教「生長の家」の関係を考えれば、間接的にも新興宗教と繋がりがあると言えなくもない。
また、神社本庁自体が意外にも政治的思想を持ち、積極的に政治に関わっている。例えば先日話題になった同性愛差別の冊子を配布した神道政治連盟は神社本庁の関係団体であり、神道政治連盟国会議員懇談会という議員連盟も組まれている。この冊子を配布した会合では、同性愛を否定するためにわざわざキリスト教系の講師(楊尚眞)を招聘したというのだから、相当な思想の強さが伺える。
神社が好きな一個人としては、多種多様な八百万の神々を奉る各地の神社を包括しているらしいこの神社本庁が、このような形の政治的思想を持っていることは残念な話である。

と雑談を書き連ねてみたが、今回の事件で統一教会が注目され、多くの人は自分が思っていたより日本が新興宗教の影響下にあったことに初めて気づいたのではなかろうか。
せいぜい公明党と創価学会くらいのものだと思っていたのが、自民党も統一教会と関わりが深いとなれば、圧倒的議席の政権与党を構成する二党がいずれも新興宗教を強い支持母体に持つということになる。その他の新興宗教も含めればなおさらだ。野党議員も当然政治家である以上無関係ではなく、新興宗教団体の会合へ参加したり支援を受けたりしている者も多いだろう。もちろん、だからといって宗教団体の言いなりになるというわけではないだろうけれども、支援を受けているという事実がその議員の政治的姿勢に及ぼす影響、また政治的権力・知名度が宗教の権威付けに使われることの悪質性を考えると、そのような政治家に向ける視線は厳しくあるべきだろうと思う。

今回は統一教会の教えと共通する点が多いとして自民党の改憲案がよく槍玉に上がっているが、政治の中に特定の新興宗教の教義が反映されていたり利益誘導が含まれていないかというのは常に注意して見てみるとよいと思う。
特に宗教的な問題というのは限られているので、そのあたりを注視してもいいかもしれない。例えば上述したLGBTQも宗教的な問題だし、統一教会は現在の名前を世界平和統一家庭連合としているとおり、「家庭」の在り方に非常にこだわった教義を持っている。上記の改憲案でも「家庭」関連の部分が取りあげられて「統一教会の意向を反映したのでは?」と言われている。選択的夫婦別姓もこの「家庭」関連の問題故に、宗教的な側面の強い問題であると認識した方がよいだろう。
最近アメリカでは中絶の禁止が話題になっているが、あれも宗教的な争いであることを考えると、宗教と性(から生じる家族形態)はかなり密接な関係を持っていると思われる。
自分自身に身近な話で言えば、表現の自由もまた宗教的な問題である。例えば「エロ表現の規制」といった範囲の話に限れば、大元は明治にキリスト教的性道徳を導入したことにあるかのような言説が出てくる。それが正しいかはわからないが、宗教によって性道徳が如何様にも変わるのは事実である。

個人的な素直な気持ちとしては「政治家は須らく新興宗教と手を切るべきである」というところになるのだけれど、なかなかそこまで期待ができないのが辛いところだ。新興宗教に限らず、悪質な団体と繋がりを持つ政治家は多かろう。
しかし、これほどの事態となったのだから、統一教会と手を切ることは不可能ではないだろうし、統一教会と手を結ぶ政治家を選ばないという判断を国民ができるようになればよいと思う。
ただそれも、結局第一党かつ最も繋がりの深い自民党が統一教会を切れるかにかかっているという、かなり絶望的な状態なのだけど。

まあ、そんな感じで適当に終わる。
ちょっと創価学会に甘い文章だったという自覚はあるが、実際自分は「自分の身の回りの創価学会」しかほとんど知らないのと、創価学会の熱心な信者である家族を受け入れているので、こういう感じになってしまった。とはいえ元々創価学会は嫌いで、その大元にあるのは幼い頃に創価学会に関して家族に些細な嘘というか詭弁を言われたことがきっかけであった。それが今も、本当に些細なことなのだけど、絶対に新興宗教に入りたくないという理由になっている。
その上で身近にあった分、あえて細かい関心を持たないようにして育ったし、一般的な実態を調べるにしても日本で最も有名な新興宗教ということもあり、素人の雑なイメージ語りや又聞き・デマ、あるいは創価学会の息がかかっていそうな情報が多く、逆に調べづらかった。なので創価学会について一般的な実態をあまりここで書けず、なんとなく甘い文章になってしまったのである。

しかし、ツボを売りつける元ネタが統一教会だったとは……本当に初めて知った……。