映画の感想は書こうと思って下書きを書いているものがいくらか放置されているのだけど、とりあえず先に今日見てきた「大怪獣のあとしまつ」について簡単に感想を書こうと思います。ネタバレ感想です。(即追記:私は特撮愛とか特撮知識はないです)

もともとちょっと関心はあった作品で、怪獣の死体の処理(というか、一般的なフィクション作品において描かれない部分の事後処理)というのはあんまりない題材なので、特に怪獣8号とちょっと類似しているという点で気になっていました。ただ予告だけを観ても、怪獣の死体処理という字面だけで受ける印象よりだいぶ二者には差異があります。というのも怪獣8号の方は割と小型の怪獣が多く、またあまり死体処理に係る諸問題のようなものはなく民間の清掃会社が行うくらいで、そもそも死体処理が主題でなく怪獣と戦う部分がメインのバトル漫画(これは個人的にすごく残念)ですが、大怪獣のあとしまつはゴジラ的な大怪獣であり、死体の処理が政治問題と化しお役所(軍隊)が死体処理をするという内容です。大怪獣のあとしまつの方がより死体処理にフォーカスした、どちらかというとドタバタコメディよりな作風というのが、予告時点での印象でした。

予告から期待する内容としては、政治ゲームやお役所仕事がコメディタッチで描かれつつ、怪獣の死体処理上の問題(なんか爆発するらしい)について、未知の怪獣の生態やお役所ならではの束縛に精鋭たちが立ち向かっていくみたいな感じでしょうか。立ち向かうといってもそんなに真剣なものでなく、例えばゴーストバスターズ(1984年)では最後の敵、エボリューション(2001年)では最終兵器が意外なもので笑いを誘いましたが、まああんなノリでいいかなというところ。そういえばどっちもアイヴァン・ライトマン監督じゃん。

ただ、まあこの文章にたどり着くような人はもう、大怪獣のあとしまつ=クソ映画という認識が出来上がったうえで来ていることかと思います。

そもそもこの映画の公開時期すら記憶していなかったんですが、公開するや否やクソ映画だったという評判が私の元まで届いてきました。具体的な内容に触れた感想には全く出くわさずに済みましたが、なんだかデビルマンと比べたりしている人もいて、そこまでのものかと逆にワクワクする始末。ただ、この手のやつで肩透かしだった映画がちょっと前にあったんですよね。100日間生きたワニという映画なんですが。

100日間生きたワニについては過去に劇場へ見に行って感想を書いたんですが、あれもとんでもない不評が乱れ飛んでいたので興味本位で観に行ったところ、まあつまらないはつまらなかったのだけど、不評の内容が明らかに盛りすぎで、SNSなんかでよくあるある種のバズ構文だったという残念さでした。その後揺り戻しなのかワニ褒め感想も出てきましたが、そっちはそっちでなんかバズった感想は「つまらないと思ったやつは映画を見る力のないアホ(悪意のある要約)」みたいな内容が多くて、やっぱバズるような感想にはろくなのがねえみたいな気持ちになりました。本当はそういうこともないんでしょうけど。ちなみにバズってないワニ褒め感想ではよい内容の感想もけっこうありました。

そういうわけで、ワニを経たうえでこの不評の嵐を見ると、やはり変な感想に触れて先入観を植え付けられる前に自分にとっての真実を確認しておかなければいかんという気持ちがふつふつとわいてきて、あわてて観に行ったというところです。

(追記:ちなみに下記のとおり一通り自分の感想書いたので安心して酷評の中身観に行ったんですが、真面目な映画を期待して観に行ったら違ったという不満が多いのはさすがにどういうことなんですかね……予告はもろにくだらないコメディでしたが……どこかでそういう勘違いを誘発させるような広報があったのかな?)

以下ネタバレ感想。

結論から言えば、肩透かしでした。いやまあつまらないはつまらないのだけど、つまらないと言い切ってしまっていいのか?少なくとも面白いとは言えないけれど……みたいな。ちなみに比べるものではないですが、ワニよりは面白かったです。これはワニが真面目な映画で、今作はふざけた映画なので、真面目な映画だと欠点がめちゃくちゃ響いてくるということです。コメディでキャラの行動が支離滅裂でもわりと許せるでしょう。そんな感じです。なんにせよ、そんな大騒ぎするほどつまらなくもなく刺さる人はまあいる映画だろうし、間違ってもデビルマンと並べるような映画ではないですね。あとこの作品を評するのにシンゴジラを引き合いに出す人はちょっと表層的すぎる気がします(当然シンゴジラを踏まえた映画ではあると思いますが)。

話の内容としては予告を見て思ったとおりと言った感じで、別におもてたんとちがう!という感じではありませんでした。怪獣が死にました、死体の扱いをどうしましょうと言っているうちに死体が腐敗して危険物になりました、どうやって安全に処理するかで喧々囂々の末、主人公たちが解決策を見出したり間違えたりして、最終的にうまくいきました。という風な流れを想像していたので、まあだいたいそのままです。実際に本編を見ていて違ったところは、もう一本別のストーリーラインがあったのと、最後のオチです。あと世界観ですね。

というのも、この映画はゴジラをベースにしたパロディ世界観だと思っていたので、まさかウルトラマン的世界観だったとは見る前は思いませんでした。当然それを狙った脚本になっており、大怪獣の処理とは別に、主人公の抱える謎の存在が徐々に明らかにされていくようにストーリーが平行しています。つまりこの作品がやりたかったメイン要素の一つは、「ゴジラだと思って見に来たろ?ウルトラマンでした!」という、叙述トリック?的なサプライズだったんだろうと思います。ただ結果としては、途中でわりと察しがつく感じでしたが、それも狙ってのことでしょう。まず大怪獣が謎の光で死んだという大前提を置いたうえで、三年前に主人公が謎の光に見舞われて一時的に失踪した、あとなんか選ばれしものとかいうワードが出てくる、という露骨さで、遅くともダム作戦に至るまでにはけっこうな人が主人公がウルトラマン(的何か)だと気づいたと思います。

その上で最後のオチですね。主人公がなんやかんやしてちゃんと処理しようとしてるのに、まさかの死体処理と関係ない私情(正体確認も含みますがいずれにしても関係ない事情)によりミサイルぶっ放して最後の最後で台無しにするというのは予想外でした。国防軍は命令を疑問に思えやという気もしますが、フィクション上のリアリティはともかく、実際はそんなもんかもしれません。なんにしても、もうどうにもならないと思われたその時、主人公が変身する……その変身ワードは「デウスエクスマキナ」冒頭で首相の机上メモに書かれていた言葉。つまりもうお話的に解決できない状態になったのでデウスエクスマキナで終わらせましょうという、作り手側の視点をモロに見せつけて終わる……。しかもそれは冒頭から伏線で示されていた予定通りのものである、というオチで、そもそもがゴジラ(ウルトラマン)パロディなのである程度メタ的な作品ではあるんですが、ここまでメタを前面に押し出してくるとは思いませんでした。ある種のネタばらしですね。ここまでやられると、各描写のリアリティだのなんだのを気にする方がバカらしいというレベルです。

デウスエクスマキナで解決するオチというのは真面目に世界観とストーリーに没入して観ていた人なら当然がっかりすることかと思います。ただ、どうもそれを見越したかのように作中全体的にめちゃくちゃ浮いたセリフや奇妙な行動、気分を盛り上げづらい演出がちりばめられており、没入や共感を阻害してきます。さすがに察しの悪い私も中盤までには「真面目に見る作品ではないから(おふざけ作品だから)距離を置いてメタ的に観てね」という作り手のメッセージを受け取りました。(追記:だからか私は普通にオチでクスッとなったのでこのオチ単体ではけっこう好きです。全然違う映画ですが、ライフ(2017年)のあまりに悪趣味なオチを見て笑ってしまった時の感じに似ています。作り手に対して、やりやがったこいつ!って思う感じですね)

なんなら冒頭で怪獣の死体がいっこうに映されずサーモグラフィ画像とかばっかり映してるので、もうそこで既に、ひょっとしてこの映画はほとんど怪獣を映さずにやろうとしているのか?超低予算映画なのか?という疑問を持つ人も多いと思います。実際の予算は知りませんが、最後の次回予告で予算半減とネタにしていたので、低予算でも成り立つ映画ですという風に言われている気がしました。そして実際そうだと思います。邦画の演出や演技が舞台的なのはよく言われていますが、この映画は特に舞台劇っぽいです。私は会議室での各大臣の掛け合いとかの描写について、「これは舞台でやったらこんな感じかなあ」と勝手に舞台劇バージョンの風景を空想しながら見ていました。

と、ここまで読むとさも私が「これは巧妙に計算されて作り上げられた佳作だ」と思っているかのように受け取られそうですが、別にそうは思っていません。そもそもこのネタ、別にそれだけで面白いわけじゃないんですよね。というか、ただでさえ心理的に距離を置いて観るのって普通に面白さ減りますからね(つまらなさも減りますが)。

実は今作にちょっと似ているなと思った映画があります。ラバー(2010年)です。念力で人を殺すタイヤの話ですが、映画の作り手と観客(批評家)等が作品内に包含されて描写されているのが最大の特徴です。特に作り手キャラは冒頭とラストにおいてきわめてメタ的に映画について語り、たしか冒頭では「この映画に意味なんてない」みたいなことを言いますし、全体的にあえてナンセンスなものを見せることで、ある種の作品制作についての作り手の思想的な表現をした映画です。もう何年も前に見たので内容はほとんど忘れましたが、この映画、まあ当然に面白くないです。作品のコンセプト自体はしっかりとありすぎるほどにあるんですが、それはあくまでメタ的な視点で作品を評価して「なるほどそういう構造と意図の映画なんだな」と批評家的に理解して初めて意味を成すものであって、普通に観る分にはただ退屈でナンセンスな描写が一時間以上続きます(まあタイヤのキャラがちょっと面白いのでところどころクスッとなるところはありますが)。抽象画みたいなものでしょうか。

まあそれはそれで志のある作品と言えるかもしれません。でも一応は今作(あとしまつ)、シネコンで上映されているわけです。つまり商業的責任をある程度以上に負っているわけで、上記のような構造を踏まえた上でなお面白さをアピールできないといけないと思います。その点、この映画はあえて観客の心を遠ざけておいて、遠ざかった心にも響くような面白さを提供してくれてはいません。

おそらくこの映画を見て一番誰もが引っかかるところは、ギャグがあんまりおもしろくない、というより、めちゃくちゃに滑っているギャグが特に国防大臣や官房長官から連発されているというところでしょう。滑っているを通り越してもはや不快です。陰毛で石鹸を泡立てるだのなんだのは万が一親子で観に来たら親の気まずさはたまったもんではありません。そんなこと子供に教えたくない。そしてこれを面白いと思って書いているならともかく、実際には作中でも「意味が分からない」とまで言われるとおり、大半が初めから滑らせるためのギャグだと思います。つまりこれもまたメタ視点へ観客の心を突き放すためのものだと私は思うんですが、それにしてもあまりに滑りすぎていてキツイ。ちゃんと面白いコメディにしてくれれば普通に用が足りると思うんですが、あるいはこのギャグは監督脚本の三木聡の個性なんでしょうか。過去の作品を観ていないのでわかりません。たまに面白いギャグもありましたけど。(追記:すみません、三木聡映画を一本だけ鑑賞済みでした。転々(2007年)という映画で、とても良い作品なのでオススメです。抑制されたトーンの人間ドラマで、今作とは全然別の作風です)

あとはストーリーや人物描写の不可解さですね。観客の没入をあえて妨げるためと前述しましたが、それは私の勝手な推測であって、推測が正しいにしろ不可解にする必要はないし、間違っているならもっとおかしい。ギャグを連発するのもそうですが、明らかに異常とまで言わずともかなりの変人しかいません。コメディとして考えてもギリギリラインを飛び越えてただただ引いてしまうレベルの描写があります。

特に一応数少ないシリアス側にいると思われる雨音夫妻が不可解な行動をするのがかなりの違和感を呼び起こします。雨音夫妻の浮気キスは唐突すぎて笑っちゃいましたし(笑えたのでまだマシですがシリアス側がしていい唐突さではない)、夫(秘書官)は最後まで内心がはっきり描かれないまま(察せるけど)不可解な行動を繰り返すし、妻は夫と元カレで態度が違いすぎるし、兄?のオダギリジョーは火薬の扱いがめちゃくちゃ適当だし。特にラストでは、前述のとおり夫はミサイルを撃つし、妻は主人公のピンチ(ミサイル)に対して何か対処するためにバイクで駆けているのかと思いきやただ主人公のところに向かっただけというのも、まあクスッとはしましたが、普通に見れば疑問符が山のように浮かぶシーンです。デウスエクスマキナを目撃させるための脚本上の都合なのはわかりますし、それをあからさまにするのは私の推測通りあえてメタ的な見方を推しているのかもしれませんが。主人公もラストで急に単身ガス抜きのため登山を始めるという描写が率直に言って(追記:話の流れ・連続性という点で)適当すぎます。印象として、ラストに近づくにつれてこのような不可解な描写が増加していったような気がするので、ひょっとするとだんだんと作品自体が崩壊していった挙句にデウスエクスマキナという流れを意図したのかもしれません。それにしたって崩壊具合が中途半端で伝わりにくいし、そもそもそれだけで面白いものではないですね。普通のドラマ(あるいはコメディ展開)の結果収拾がつかなくなった方が楽しいと思います。

あと、先ほどシリアス側と書きましたが、コメディとシリアスが調和していないとも感じました。コメディとシリアスの役割がそれぞれのキャラクターに分けられているせいか、またはそれぞれのパートで画作り等の方向性が全く違うせいか、シーンごとに視聴側のスタンスを定めづらい。結果としてどちらも中途半端な気分で観ることになってしまい、消化不良な印象になりました。オダギリジョーが爆死(死んでない)(というかなんでああなった?)して入院してるのもそこで主人公を雨音妻が問い詰めるのも、多分シリアスなシーンだとは思うんですが、シリアスな気分になれません。ダム放水で若干ガス抜きできた時にいきなり腫瘍が激しくプルンプルン動いたシーンがたしかありましたが、そこまでわりとシリアスだったのでいきなりプルンプルン動かれると笑いづらくて困る。いやこれらも前述のメタ的な視点へ突き放した結果かと思うので当然ではありますが、それと面白さは別ですからね……。

演出として一番気になったのは音楽が非常に少ないことで、音楽がないまま滑りギャグやちょっと不可解な会話劇などを見せられるため、非常に退屈な印象を受けます。特に冒頭数分を過ぎたころから中盤まではとてつもなく退屈で虚無。しかし音楽は適切に使えば観客の気分を作品に同調させる効果があると思うので、そういう意味ではやはりこれもあえて没入を阻害するためなのかもしれません。

一応見た直後の感想としては、既にうろ覚えの部分も多いですが、おおむねこんな感じになります。要約すると作品の構造自体はメタ的な試みや叙述トリックで一定の面白みがあるんだけれども、そのための脚本上のプロセスや個々のシーンに不可解なものが多く、演出の方向性で観ていて困惑したり退屈したりする一方、その全てが作り手の意図した没入を阻害する策である可能性を拭えないため、あえてそう作られたと言うこともできるとなると評価に困るという感じ。あとギャグがつまらない。見る側にかなりの斟酌とメタ理解を要求してくるのは少なくとも絶対に万人受けとは言えない作家的作品であり、なんか普通の特撮邦画みたいな配給の仕方は適切ではない印象が強いですね。

ただ正直な話を言えば、メタ的な視点抜きでも、クスッと笑うシーンはそこそこありましたし(環境大臣とか好きですね)、演技力はどの役者も十分にありますし(めちゃくちゃ舞台劇的ではありましたが)、お話自体も上がり下がりがそこそこあるので、普通の映画ほどではないにしろ、ある程度の面白さはありました。基本コメディなのはわかっていますしね。あとはメタ的な視点も合わせると、無茶苦茶な部分も含めて、面白くなかったと断言することは少なくともできないという感じです。国防大臣や官房長官のギャグと、音楽が少ないことはかなりキツかったですが……。

他人に勧められるかと言われると絶対に勧めないですが、駄作と言われるとうーんどうなんだろう?という感じですね。鑑賞後の感覚は実写版パトレイバーに似ていました。あれも作り手の都合が反映された作家的な作品でしたね。作品という枠の外の部分を斟酌した見方を要求する作品(そうでないと面白くない作品)はけっこうありますが、そういう作品を枠の中だけで評価していいのか?でも枠の外を持ち出すのは単体の作品としてどうなの?みたいな、なんとも面倒な感じです。

まあ、駄作とか名作とか、分不相応に一丁前に一言評価や点数で作品の価値を決めようなんてするからややこしい話になるのであって、この作品は特に一言でどうこう言いづらい作品でした。

あまり関係ない話ですが、私は最近Twitterで「ギャグは共感が命」みたいなことを(あまり考えなしに)言いました。笑いというものは共有する価値観(コンテクスト)の確認作業みたいなところがあって、笑わせる側と笑う側で価値観が一致していないと、意図通りに笑えません。笑わせる側で笑える変人を描いたつもりが、笑う側からすれば例えばそれは自分自身を侮辱されているように思ってしまっては、笑うどころか怒りと悲しみを招くことになります。最近お笑い関連でちょくちょく芸人と視聴者の価値観の不一致が問題になってたりしますね。

そしてよりハイコンテクストであればあるほど、多分面白さは強くなると思います。日本人あるあるより県民あるあるの方が面白くないですか。要するに内輪ネタであればあるほど面白い。共通のコンテクスト・同質性を要求するという意味では、ギャグというのは多様性とは最も縁遠いものかもしれません。

ギャグお笑い以外のエンタメなら、全く異なる価値観を面白さに転換させることもできるかなと思います。例えば私はスポットライト世紀のスクープ(2015年)で、キリスト教文化圏と自分の間に(特に教会というものについて)理解不能なレベルの断絶が存在することを認識しましたが、それはとても面白い経験でした。そういったところから多様性についての価値観が広がったりすることもあると思います。とはいえ、基本的にはやはり感動ヒューマンドラマでも王道バトルマンガでも、コンテクストを理解していた方が面白いものだろうと思います。

その点において今作は極めてハイコンテクストな作品と言えるかもしれません。非常に限られた人々しか今作の面白さを真に理解できない。そしてだからこそ、ハマったら非常に面白いのではないか。多分、少なくとも作り手側は理解できているだろうと思いますから、作り手にとっては非常に(内輪ネタ的に)面白い作品、なのかも。そう表現してしまうと、作り手の自己満足というワードがふっと頭をよぎりますが、さすがにこの規模だと商業的に失敗してもいいとは思っていないはずですから、どこかの誰かに届けるつもりで作っていると思います。私は違いましたが、その人たちに今作が届いてほしいですね。