機動戦士ガンダムGQuuuuuuX、最終回まで見終わった。

一言で言うと、とても楽しい作品だったなと思う。

自分は機動戦士ガンダムシリーズを一切見ていなかった。ガンダムの見た目とか、シャアというキャラの存在とか、そういうのは知っていたけれど。あと、なんかニュータイプが超能力者?的な感じの存在だとか。
このレベルだったので、どういう話かも世界観も全然知らない、ガンダム初見の人間だ。

そんな自分がジークアクスには興味を持った。というか、やたら話題だったのと、ネタバレがネットに氾濫する類の作品になることが目に見えていたうえ、先行上映の劇場版Beginningもネタバレ厳禁みたいな感じだったので、ネタバレ踏む前に行ったるか!みたいな気持ちだったと思う。
こういうネタバレ厳禁系にちょっと弱いところがある。
劇場版を見に行った時の感想は以下リンク先。
https://nisezo.com/archives/7759
この時に期待していた内容とは違ったけれど、十分楽しめたなあと思う。

まず、そもそも自分はTVアニメが不慣れなのだけど、その立場から言うと、視覚的に退屈しないのがとても良かった。作画がずっと良いし、よく動く。見ていて楽しい。ガンダムのデザインなどが良く言えば情報量が多く悪く言えばゴチャゴチャしているのだけど、その情報量の多さも個人的には良かった。
Beginningのクオリティは劇場版だからと思っていたけれど、そのクオリティがずっと続いてくれたのが嬉しい。
アニメファンからすると今更なことかもしれないが、たまにTVアニメを見かけたとき、絵が崩れているなあとか、絵が動かないなあとか思ってしまうことがある。それを許容できることもあるけれど、TVアニメに不慣れな身にとっては特に思い入れがないとスパッと離れてしまうかなり大きい要因なので、大事なところ。今期だとヴィジランテも(原作が好きだから)視聴しているけれど、そちらも作画と動きがいいから見ていられている。
あとガンダムをはじめとするロボのビジュアルが普通にいい。ロボじゃなくてモビルスーツだっけ。違いがよくわからないけど。最初はガンダム以外は旧作の感じなのかなと思っていたけど、旧作っぽいロボや戦艦にも見てるうちに味わいを感じてきて良かった。

音楽も非常に気分を盛り上げてくれてよかった。
とにかくTVアニメ不慣れマンとしては、「退屈しない」のが大事なので、絵と音楽が最高なら全然問題ない。

この辺、上述の劇場版を見た時によぎった、懐古作品なのでは?→スタジオカラー作品→シン仮面ライダーみたいになってしまうのでは?という懸念はハズレとなった。ジークアクス、懐古作品というのはどうやらそういう一面もある作品だったようだけれど、映像作品としてクオリティがかなり高かったし、話も楽しかったので、懐古要素があること以外全然シン仮面ライダーとは真逆の作品だなと思った。シン仮面ライダー好きな人には引き合いに出してけなしてごめんだけど。でもBeginning見たらシン仮面ライダー連想しちゃうのしょうがなくない?

以下、ネタバレ込みでざっくりと。

ストーリーについて、はじめの方の展開は正直あまり良くなかった。というか、Beginningの構成がかなり良かったので、比較すると見劣りした。
過去のエピソード、赤いガンダムにまつわるものが事前に提示されていないと、1話の展開はピースが欠けたように感じてやや物足りなく感じた。
ただまあBeginningを観ていたので、本番は4話からと割り切れた。

全体的にはストーリーは結構駆け足な感じで物足りなく感じた。これは「描写が足りずつまらなかった」ではなくて、「楽しくて魅力的なのでもっと見たかった」という意味。視聴直後の感想として、要素が足りず未完成だとはあまり思わないけれど、付け足せる要素はたくさんあると思う。例えばマチュ・ニャアン・シュウジが3人でいる描写はもっと見たかったし、クラバももっと見たかったし、サイコガンダムの出番も、キシリアニャアンも、なんかその他にもいろいろ。
あとは謎というか、一見してわからない考察要素もあるんだろう。というか、ガンダム初見の自分は汲み取れていないところがかなり多いと思う。
クランバトルが前半までで終わってしまったのはちょっと惜しかったけれど、まあ確かにあのままクラバを続けてもガンダムという兵器の作品としては話の広がりがあまりない気もするので、仕方ないのかなと思う。
それよりもサイコガンダム以降のガラガラと雪崩を打つような毎話先の読めない展開は意外と心地よかったし、最終的な顛末も満足のいくものだった。

話のテーマみたいなところはさすがに汲み取れないのでそこは勘弁して欲しい。(他の作品にも言えることだけど、自分は頭が良くなく、テーマを拾い上げるのがうまくない)
終盤ではニュータイプとはどういう存在か、みたいなことが語られていて、おそらくそこがひとつのテーマだと思うけど、まずガンダムにおけるニュータイプの位置づけみたいなものがよくわからない。シャリア・ブルとかが、ニュータイプがニュータイプとして生きられる世界、というのを目指していたり、ニュータイプなんていないとか言われたり、ジークアクス世界においては、あまり良い扱いは受けていないようだけれど。
この辺はたぶん、ガンダムシリーズを通じてニュータイプ(人類の進化形?)とは何かという問いみたいなのがあり、それに各作品答えていて、ジークアクスでもジークアクスとしての論を出したということなのだろう(違ったらごめん)。だからニュータイプについていちいち説明がないのかもしれない。(実際本作は過去作共通用語っぽいものはほとんど説明なしで出してきていたような気がする。スパイダーマンのリブートの度にベンおじさん死なすのどうなのみたいな感じで、うんざりされるからか?)
で、それについては最終話のマチュのセリフが全てなのかなと思う。ニュータイプは進化だから、進化し続けるもの、今日より明日強くなる者こそがニュータイプだということなのか。シャリア・ブルの言う自由のために傷つく者というのは、守られない自由を求める者ということ?それは確かに、1話から閉塞した現状からの自由を求めていたマチュを表す言葉ではあるように思う。

あとはまあ、なんかフンワリ流されていた、ニュータイプのために地球人皆殺しみたいな話も、シャリア・ブルがキッチリ否定してくれたので良かった。そらそうよ。

キャラクターについてはさすがに必要最低限という感じで、もっと見たいというところも多いけれど、マチュとニャアン、シャリア・ブル、シャア、エグザべのあたりはひとまず最低限満足かな。マチュはしっかり主人公になったし、ニャアンはマチュとマブになった時の笑顔が本当に幼くて良かった。
ひとつ不満点としては、シュウジはそもそもが不思議系のつかみどころのないキャラだったので、終盤になってやっと色々明かされてわかりかけたら終わってしまった。もう少し内心が明らかになっていたら良かったなと思うけど、マチュにキスされた時の赤面は年相応の素のシュウジという感じがして良かった。

ラスト2話のあれらはさすがにガンダム未見の自分でもわかる衝撃的シーンで、正直に言ってめちゃくちゃ笑ってしまった。
とくに11話のガンダム登場ラストは、ここまでの世界観はこのネタのためのフリだったってこと!?と衝撃を受けた。このガンダム……おれでも知ってる〜〜!!
まあでもBeginningでいきなりシャアを出してきていたので、ネタ的には、それをもう一回やったようなものかもしれない。
12話の巨大化は、なんだったのかよくわからないが、異世界物体だから自由自在みたいな話なのか?とにかくめちゃくちゃ面白かったけれど……。
あと、ジークアクスの声は初見だとわからなかったけど、2回目でわかった。安室透の声じゃん!てことはアムロかよお前!

あと人の感想を見かけた中にあった、シュウジ=富野由悠季説も笑ってしまった。なんかセリフと自伝タイトルが同じとか、割と納得できそうなのが可笑しい。富野由悠季へのラブレターかな?

ガンダム有識者や考察勢にとっては、色々な方向からの掘り下げができて味わい深いんだろうなあ。と思う。
ガンダム初見の自分としては、過去作も見てみたいなと思える出来だった。