どうすればよかったか?を見た。12月13日、ポレポレ東中野にて。

オススメ度★★★★★

実は非常に身近な題材であり、是非とも色んな人に観てもらいたいから星5にしたいところなのだけど、人によってはこの題材に悪い意味で興味がなかったり、あまり好ましくない感想を抱きかねないかなと思うので、人を選びそうなので、星4かな……と思ったけど、やっぱり星5で。

子供の頃から精神病には関心があり、現在は自分が精神科にかかっていることもあり(双極性障害だが)、今作の題材は気になっていた。
一人の人間の人生と尊厳、統合失調症の一例とその介護の様子、家族の在り方、そういったものが記録され映し出されて、考えさせられる。
考えさせられる、という言い方は嫌いなのだけど、統合失調症は決して珍しい病気ではなく誰でも発症するリスクがあり、それを抜きにしても本作で紹介される家族と姉の人生、そして提示される「どうすればよかったか?」の普遍的な問いを思うと、やはり考えさせられるという表現が適切かもしれない。

あと、いざ見てみると「あれ、こういう人街中でよく見かけるな」と思うかもしれない。人を不用意に統合失調症と決めつけるのは危険だが、意外と身近に統合失調症患者とその家族はいるのだと、本作を見て感じることができれば、それはいい事だと思う。

以下ネタバレあり。

姉が大声でしゃべり続ける録音に始まり、冒頭から緊張感のある映像が続く。
当初からその予定というわけではなかったようだけれど、観てる側は映像作品としてまとめられることを知っている。また、事前のあらすじなどから、統合失調症の姉に対して事実を認めようとしない両親という構図を知っているため、事実を見たまま記録するカメラというものが家族の中に存在して映していること自体が居心地の悪さを感じさせる。
実際、母親は当初カメラに対して少し警戒心を示しているような発言をする。
映像が震えていたり、変に角度がついていたり、ピントが合わなかったり、意味のあまりないものを映していたりと、映像はうまく映っているとは言い難いが、それがむしろ、心の内を隠して家族にカメラを向ける後ろめたさと緊張感を感じさせる。
後半では母親の認知症悪化によりさらに緊迫感が増し、興奮して叫ぶ姉の部屋に認知症の母が出入りするシーンは、なんで悠長に撮ってるんだ!?と思わなくもなかった(実際この時動きかけたそうだが、沈静化を察して撮影に戻ったようだ)。

しばらくすると家族がすっかりカメラを受け入れているのがわかり安心するのだけれど、それとは別に、姉の異常性から目を背け続ける両親の姿に戦慄を覚える。
しかしこれも、実際家族にこういう人がいて、そして改善の見通しがついていなかったら、自分もこの両親と同じような対応をするのかもしれないとも感じる。それの善し悪しはそれだけでは判断できないのかもしれない。

母親が認知症になって以後、明確に家の中が散らかっているのが見て取れる。
このような中で暮らす老いた父親が何を感じてどう暮らしているのかは映像には映っていないが、社会的にも家庭内でも孤立している老人、しかも精神に問題を来たした要介護者二人を抱えているという状況はキツイものがある。

統合失調症から回復するのは観る前は予想していなかったが、ここからもしっかり尺を取って記録されているのが、姉の多面的な人間性を記録できているという意味で、本作の深みを増していると思う。やや芯を外していると思いつつよく言われる言い方で言えば、統合失調症の症状が激しい時の姉は本来の姉ではないということなのだ。
合う薬が見つかったというテロップの後、洗い物をしている姿が映される。おそらくは生活力が改善されているのだろうと感じた。その時点でけっこう感じ入るものがあったし、自分の体験に照らしても、精神病の薬は効く時はけっこう早くてきめんに効くのだ。
その次、インスタントカメラで写真を楽しむ姿をはさみ(楽しんでいる姿すら服薬前はなかった)、最終的にタブレットを使いこなして父に使い方を教えるまでになっている映像には目を見張るものがあった。この進歩は25年間ずっと停滞していた姉の人生が進み始めた証だ。

どうすればよかった?のタイトル回収、これが作中では父への最後のインタビューで使われた言葉だったというのが辛いところだ。秀逸なタイトルだと思っていたら、当事者に実際に言ったのが元になっているとは。
間違ったと思っていない(たしかそう言っていたはず)、という回答は非常に現状追認的ではあるものの、姉の25年は家族の25年でもある。それを死を目前にして自ら否定することもまた辛い。
この問いには九割がた結論が出ている。精神科に繋げれば25年は3ヶ月だったかもしれない。そうでなかったかもしれないが(統合失調症の薬に詳しくないが、その時代は合う薬がなかったかもしれないし、一方、非人間的な扱いをする精神病院は事実存在した)、けっこう高い確率でそうなっていただろう。精神科に繋げてどうなるかわからなかった時と、入院して改善した後では全然違うのだけど、それでも25年を省みられない辛さがある。
しかし残りの一割がその結論を否定する。統合失調症については病院に行かせればよかったかもしれないが、この映画が明らかにする問題は家族関係と現状追認の厳しさでもある。母親も父親も多少互いに責任転嫁するような発言があるが、つまりは本人の中でも薄々わかっていたけれど、家族関係の中でがんじがらめになって、そこに自ら(の家庭)を現状追認するたやすさも相まって、身動きが取れなくなってしまったということだと思う。この障壁を、家庭から一歩出て第三者的な観点を持つ監督も再三言葉にしてぶつけても突破できなかったわけで、はたしてどうすればよかったのか?やはり自分には結論を出すことは難しい。

どうすればよかったか?の秀逸なタイトルと内容から発せられる普遍的な問いは、統合失調症に関わらずあらゆる物事について言えることであり、自分や大切な人の人生について常にどうすればよかったか?そしてこれからどうすればよいのか?を考えながら生きていくしかない。そういうことを改めて思い出させてくれる作品だった。