ルックバックの単行本が発売されましたね。

ルックバックの修正について先日文章を書いたけれど(http://nisezo.com/archives/5895)、再修正後はどうなっているのかやや楽しみでした。

結果としては、期待していたほど良くはなかったです。

修正前、修正後、再修正後(以下1,2,3とします)のセリフを見比べると、不思議と1のセリフもなんだか微妙に感じてしまいました。逆に、あれだけ煮詰まってないと思った2のセリフさえ、思ったより形になっていたような気がします。

1と2の二者比較だとどうしても修正後に違和感を強く感じますが(初見バージョンに愛着があるため)、三つも別バージョンが並ぶとある程度フラットな印象になるのかもしれません。私は1特有の精神病質的なところが好みだと思っていましたが、改めて並べてみるとそこまででもないですね。ひょっとすると、あの犯人自体が現実のコンテクストを持ちすぎてしまった結果、私の方が冷めてしまったのかもしれませんが。

というか、この再修正を見るに、問題視されていたのは精神病質的なステレオタイプ描写であり、京アニはあんま関係なかったんですね(少なくとも制作側の認識としては)。まあその辺とっちらかるのはこういうある種の炎上だとよくあります。各々が自分の好きに問題点を主張するので。

しかし妄想症的な要素は、実のところ3で1のレベルに戻っています(パクリという特定個人を狙っていたような動機なのに不特定多数を目についたからと殺害しており、不特定多数に対してその動機を向けたとすれば、完全に妄想症的な描写ですよね)。直接的だったのが婉曲的になったという程度でしょうか。まあ、それでいいならいいのかなと思います。何をもって精神病質的なステレオタイプの描写とするのかというところですね。

ただ、この辺は婉曲的にしてしまったせいで1や2と比べ一見すると行動(無差別大量殺人)と動機(パクリ)の整合性が取れず違和感がある流れになっています。妄想症というピースを間にはめなければ少し理解が難しいでしょう。私は前のバージョンを知っているためそこまで強く違和感はありませんが。

逆に、パクリをより前面に押し出したことで、京アニ事件とのつながりはより直接的になりましたね。

京アニと紐付けるためには「パクリ」と「不特定多数」の二要素を押さえなければならず、修正によって前者が抜けてしまったので、そこを再修正で改めて追加したということなんでしょう。ただ、当該事件の犯人の憎悪は基本的に組織に向けられていたために十分な責任能力(妄想症ではなくある程度合理的な思い込み)の範疇でその二つが噛み合っていましたが、ルックバックでは美大ではなく学生個々人への無差別な憎悪にしてしまったため、妄想症的な要素が副次的に発生してしまっていると言えます。そのあたりが意図的かそうでないかはわかりませんが、例えば京アニ事件の犯人は妄想症であるという前提に立って作劇すればこのような犯人像になるかもしれず、その場合は意図的なものかもしれません。

しかしこの修正を見るに京アニは作者としては譲れないところだったようですね。であればやはり非常に強く時代性を帯びた作品だと言えますし、京アニ事件で世間に生じたあらゆる感情を媒介しうる作品でしょう。そういう点で見れば、作品の周縁で展開したこのような出来事も、ルックバックという作品が表現したものと言えるかもしれません。

私としては、京アニ要素がここまでこの作品の根幹だったのかとわかったのはちょっと残念です。やっぱりこの犯人は第三の主役なのかと。まあ単なる私の解釈違いなのでしょうがないんですが。

1、2、3のどれが一番好きかと言われると結構悩むところですが、僅差で1、2、離れて3の順かなと思います。

冒頭にも書いた通り以前よりやや落ち着いて見えるとはいえ、やはり1は理不尽さが非常に良く出ていて良かったです。理不尽さというか災害というか、非人間的な迫力ですね。それはつまり精神病質的なステレオタイプによってもたらされる効果なんですが。中でも絵から声が聞こえたのは一番やばかったかなとも思いますが、創作の加害性とかコンプレックスとかその辺のメタファーとも取れました。

2は改めて考えると思ってたよりアリでした。1とは異なりますが別の意味合いが生じていますし。加えて言うとこの犯人は(ニュースの部分以外)所詮藤野京本に都合の良い妄想上の犯人なので、その点を踏まえると実は2が一番良かったかもしれません。彼女達の内に潜むものとしては2の犯人が最もそれらしかった気がします。ただまあ1に比べるとやはり何かが足りなかったかな……なんというか、1は藤本タツキ作品として一番しっくりくるんですよね。

3はやはり個人的には残念でした。1→2で削ぎ落とされた「らしさ」のようなものは3でも消えたままですし。ひょっとするとパクリを強調しているのが強い京アニ示唆だというところは私の誤解かもしれませんが、その前提で改めて考えても、あまり私の中で掘り下げられる描写ではない気がします。いい落とし所だという評判のようだけど……私にはあまりそうは思えないかな。

結果的に、私にとって一番微妙なバージョンが最終版としてコミックスに残ったわけです。うーん……かなしみ。