シーハルク最終回を観たのでネタバレ感想。

そう来たか~なるほどな~!というオチ。賛否両論が分かれることだろう。
シーハルクがメタ的なキャラクター性を持つことはドラマの中でもしきりにアピールされていたわけだけれども、それらは単なるファンサービス要素のようなものではなくて伏線だったということ。
つまりはこのオチありきで逆算して作られたドラマだったということだろう。
結果として途中のドラマが少し面白みに欠けて話がとっちらかっていた(結局それもこのオチから考えれば当然なのだけれど)のは残念なところではあるが、面白いMCUドラマの方が少ないのでまあ別にこれはこれで許容範囲かと思う。
こちとらアベンジャーズ前からずっとリアルタイムでMCUを追ってきている人間だけれども、そこまでMCUに過大な期待はしていない。
個人的にはこのオチには非常に肯定的だし、長年のMCU界隈への不満が多少ガス抜きされてスカっとしたくらいである。

というわけでネタバレのクッション段落を済ませてオチの核心に触れつつ感想を語っていこうと思う。

まずシーハルクがここまでメタ要素を持つキャラだと言うのは、実は前情報として持っていた。コミックは読んでいないのだけど、コミックで作品を飛び出して作者に抗議するという展開があったらしいことは耳にしていた。
それにしても今回の、Disney+のサムネ画面に飛び出して他の作品に飛び込む演出はぶったまげた。サムネ画面に飛び出す演出は疑似的に現実世界に飛び出してきたことを示していてとても良かった。今回飛び込んだマーベルスタジオアッセンブルというのはあまり記憶にないのだけど、たしかMCUの撮影ドキュメンタリーシリーズであったと思う。現実世界に飛び出してもそのまま画面から飛び出してはこれないので代わりにドキュメンタリー番組に入ったというところだろう。
そこから疑似現実のマーベル(ディズニー)スタジオ内を闊歩してケヴィン・ファイギの下に向かうというのは、既に参入の決定しているデッドプールに先んじて登場したMCU初のガチのメタキャラという立ち位置ながら、いきなりメタ展開の一番極端なところをやってのけていて、今後デッドプールがMCUに登場した時にインパクトが薄れないか心配なところだ(もっともこの手のメタキャラの要点は実はメタ展開ではなくてファンとの共感性なので、デッドプールがマイルドでもさほど問題はないと思う)。
つまりはまあ、前情報はたしかにあったが、実際にドラマでやるとは思わなかったし、ここまでやるとも思っていなかったので、たいそう驚いたというのが素直な感想だ。

しかし驚いたには驚いたけれども、同時に納得もあった。
まず今回の最終回、9話の展開だけれども、直前までの展開はけっこう無茶苦茶だった。アボミネーションが講演するくらいまではまだしも、トッドがハルク化したりハルクが空から降ってきたりタイタニアが乱入してくるのは明らかに脈絡がなく収拾がつかない展開であり、さすがにいざ事が起こる前でも「これはおかしい、このまま話が進むはずがない」と思うには十分だった。
そして前回の8話はデアデビルの登場回だった。MCUに限らずマーベルの作品では、客演で主役が食われる、あるいはファンが客演ばかりを期待している、ストーリーそのものよりもユニバースに与える影響ばかりに着目するというのはよくあることであり、シーハルクもその例外ではなかった。そしてそれが最高潮に達したのが前話のデアデビル回だったと言える。その流れで9話のタイトル「主人公は誰?」である。
また、ドラマの当初から(多分第一話から既に)ジェニファーはシナリオの筋書きに不満を述べていたので、脚本に直接介入しようとするのも自然な流れではある。ジェニファーは当初からこのドラマは自分が主人公の法廷コメディだと主張していたが、そこまでの8話の中で法廷コメディ的な要素はいくつあっただろうか。そしてある意味当然ではあるけれども、8話の中でジェニファーとしてもシーハルクとしても当人の望む幸せにはなかなかたどり着けない生きづらさがある。強いて言えばデアデビルとの出会いくらいだけれど、それも別の一面としては客演に食われている。そして8話ラストではもはやすべてを奪われたと言える。
オチありきで逆算して作られたのだろうと最初に書いたけれども、1~8話でメタ的にもストーリー的にも積み重ねられた彼女のフラストレーションが、無茶な展開でついに爆発したのがこの脚本介入でありK.E.V.I.Nに対する最終弁論なのだと思う。
(まあ、このオチにつなげるために突然無茶な展開になったようにしか見えないんだけど)
つまりはシーハルクの最大のヴィランはシーハルクの製作スタッフそのものだったというわけだ。

改めて言うと自分はこのオチには非常に肯定的だ。
なぜなら自分はMCUの作劇やユニバース展開、ファンサービスに対してかなりの不満を抱いているからである。つまりはジェニファーのフラストレーションと自分のフラストレーションがわりとマッチして、K.E.V.I.Nに対してはもう言ったれ言ったれ!という感じになったわけだ。
ファザコンばっかり?言われてみるとたしかにそうだ!というよりは、単に父親の話が多いのだろう。ちょうどハルクも父親になった。デアデビルを呼ぶくだりのとおり、たしかにヒーロー同士の恋愛も意識的に避けてきたように思われる。
K.E.V.I.Nがネットのファンに忖度しながら「暗黙のルール」に従った画一的なユニバース映画製作を行うAIとして描かれたのも皮肉が効いていて痛快だ。自分が最もMCUについて不満に感じているのもまさにそのあたりだ。「ブルースは地球に戻り、何をしていたか説明しなければならない」と連呼するシーンは特に笑える。ジェニファーは「それは映画でやって」と突き放すが、結局ラストで息子を連れてやってきた。アボミネーションとウォンのシーンもポスクレにきっちりとはさみ、最後の「暗黙のルール」は守られた形だ。

ただ、VFXネタについては、実際過重な労働環境が告発されている現状、ネタにするべきだったか(そのまま公開するべきだったか)は疑問が残る。
シーハルクを作っているのはあくまでスタッフなので、作品を通じてスタッフの立場から告発的に風刺したと言えなくもないのだけれど、同時にシーハルクはディズニー・マーベル・ケヴィン・ファイギの責任の下に発表される作品なので、問題に対する製作上層部側の認識が甘い(ネタにできる程度に既に解決した事案と考えている)のではないかという疑問も残る。
あるいは自分たちの組織・チームがブラックであることを肯定的に自嘲するユーモアというのもたしかに世の中には存在するので、単に誰もが無自覚だっただけかもしれない。
個人的には今回のこれはどちらかというと現場寄りの立場からの風刺だったと思っているのだけど、もしそうだとすれば、現在進行形の問題を扱うのであれば、もう少し「わかりやすく」言及するべきだっただろうと思う。

この「シーハルク」を受けてみると、MCUはフェーズ3までの作品の画一性に自覚的になったのではないかと思う。そしてフェーズ4ではユニバースにファンタジー要素とマルチバース、セレスティアルズを本格導入しながら、同時に様々な実験的作品をドラマ含めて輩出してきたものと思われる。
しかし依然として「暗黙のルール」により、フェーズ3に引き続いて画一的で微妙な作劇といまいちワンダーに欠ける映像体験ばかりになっている。良かったのはドクター・ストレンジMOMくらいな印象だ。いや、ソーラブアンドサンダーも悪くなかったか…?
実験についても、各々チャレンジングではあるが面白さに直結したとは言い難く、ワンダヴィジョンなどはその最たる例だろう。

今作シーハルク自身もこのメタ・客観性を作品に導入する実験が成功したかというと、個人的には良かったのだけど、賛否が分かれるのは否めない。
MCUファンがデッドプール(メタ要素)に求めているのは破天荒な活躍のようでいて、実際には共感性とささやかな(本筋にさほど影響しない)小ネタでしかない。多くのファンは極めて保守的で内輪ノリを喜ぶ習性があり、だからこそ整然としたユニバース展開を売りとするMCUには「暗黙のルール」がある。その保守的な範囲内ギリギリを攻める内輪遊びの楽しさがデッドプール(メタ要素)に求められているものである。
シーハルクは保守ラインを軽々と飛び越えて「暗黙のルール」を批判しオチを書き換えるところまで行った。それは多くのファンがメタ要素に求めるものではなく、むしろその逆をいっているように思われる。
繰り返すように個人的には天晴といったところなのだけど、面白くないファンは多かろうと思う。
それに全体としてみるとやはり1~8話は凡庸である。9話へのつなぎと考えても不満が残る。

自分はエンドゲームのことを自信をもってつまらなかったと言える人間なので、エンドゲームよりはシーハルク9話の方がワンダーがあって面白かったのだけれども、やはりシーハルクも自己言及したとはいえMCUの「暗黙のルール」の中で作られた窮屈さを感じざるを得ない。
先ほどからワンダーワンダーと言っているが、映像作品を観た時に感じる得も言われぬ驚異的な感動というようなニュアンスで今回は使っている。なんか面倒なのでとりあえずワンダーと一言で言っている。
直近、トップガン マーヴェリックとNOPEを見たが、あれらには映画としてのワンダーがあった。
なんなら、マーヴェリックの予習のために家でアマプラでトップガン1作目を観たのだけど、それにもワンダーがあった。
同じアメコミでくくるなら、DC映画にもワンダーを感じるし、マーベルでくくっても、ヴェノムやモービウスにはそれを感じた。
しかしMCU作品だけが異常に打率が低い。これを自分は今作で言う「暗黙のルール」のせいだとにらんでいるが、暗黙のルールが実際どんなものかとかは全く考えていない。ただ、ジェームズ・ガン版スーサイド・スクワッドが出たあたりで、MCU特有の作劇フォーマットが存在していて面白さを落とす要因になっていると確信している。
ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバーの公開も近い。ブラックパンサー1はつまらなかったしワンダーもなかったけれど、ワカンダ・フォーエバーはどうだろうか。

とまあそんな感じで、一応シーハルク9話は面白かった。
9話ですっかり共感してしまったこともあり、1~8話のジェニファーの等身大の人間性も含め、自分はMCUのシーハルクというキャラクターがけっこう好きになってしまった。
彼女はメタ的能力があるが、狂人ではない、良識的な民間人としての視点がある。もし今後クロスオーバーしてヒーローとして戦うのであれば、そのキャラクター性がどういう風に使われるのか楽しみにしておこうと思う。
それ以前に、MCU自体もうちょっとどうにかしてほしいのだけれど……。
ワカンダ・フォーエバーの出来で先を占いたいところだけれど、ヴィランがネイモアということもあり、また生ぬるいクロスオーバー展開前提のつなぎ作品なのではないかと心配してしまっている。