MCUを観るのは義務ではないのだけどなんか惰性で観続けている感があり、いつからそんな感じになったのかよくわからないが、明確に惰性で見たのが前作のブラックパンサー。
前作はなんというか本当に毒にも薬にもならないという感じで個人的には何も残らない映画だったけれど(今思えばキルモンガーはいいキャラだった)、一応その続編であるところの今作。一応と書いたのは、結局MCUはそのヒーローの映画の続編が別のヒーローの映画だったりするからなのだけど、ブラックパンサー不在のブラックパンサー2であるところの今作について、期待をしていたかというとやっぱりあまり期待はしていなかった。
前作が微妙だったというのもあるし、MCU自体にもう期待していないというのもある。チャドウィック・ボーズマン追悼の雰囲気をモリモリにしていることへの不安もあった(追悼を批評の予防線に使ってるみたいで)。

そんなわけでモチベ低めの惰性ネタバレ予防状態で今作を公開当日に見に行った。
そんなんなら先にすずめの戸締まりでも見に行けという話なのだけど、たしかにそろそろ、MCU映画は上映開始即観に行くぞ、みたいなことはしなくてもいいかもしれない。重要な予防すべきネタバレも、今では大して期待を持たせてくれる・驚きのある内容ではなくなっているし。その価値があったのはスパイダーマン ノーウェイホームくらいではなかろうか(というかノーウェイホームはそれがほぼ全ての1発ネタ映画なので……というのは過言にしろ)。

今回は特にIMAXでも3Dでもなんでもない普通の上映を見に行ったのだけど、それで良かったと思う。
グランドシネマサンシャインのIMAXレーザーGT上映が3D付きしかないということは特にIMAX画角で見る価値がある程の撮影比率ではなさそうだし、3D映えするわけでもなさそうだし。ちょうど新作をやるアバターならまだしも、ブラックパンサーの3Dにめちゃくちゃ期待して行く人も少ないだろうと思う。
どちらもお金がかかるので、その価値があるかと言うと疑問だ。
ただ、あえて言うなら、音響は良い方がいい気がする。前作もそうだけれど、アフリカルーツを強く意識した(と思われる)ブラックパンサー独特の音楽は、それだけで映画を濃く色付けしている。

さて、ストーリーについてなんだけれど、思っていたより追悼色は薄かった。もちろんティ・チャラの死去から物語は始まるのだけど、実際に直接物語に影響を与えている箇所は大きくない。
これはなかなか脚本が上手いところだと思うのだけど、物事がこじれて国家間戦争に至る流れがわかりやすい。
今作では人類が争いに至る最もありがちな原因である資源、つまりヴィブラニウムの利害と探索から物語がスタートする。ある程度時系列順に言えば、世界に開国したワカンダが、ヴィブラニウムの分配に関して国際協約(のようなもの)に批准したにも関わらず履行しない状態が続いている。それについてラモンダ女王は、ヴィブラニウム強奪作戦で襲撃してきたフランス人部隊を登場させ、世界への不信感をその理由として挙げる(正直反論として弱いのでラモンダが強引に突っぱねたように見える)。
なんにしてもワカンダが気前よく分配しない以上、他国は他の手段でヴィブラニウムの資源争奪戦を行う。その一環としてアメリカはワカンダ外の資源探索を開始。それを可能としたのが、アメリカの手に入れたヴィブラニウム探知機と、深海という人類の未踏域(存在可能性)である。そしてこれが薮をつついた形となり、海底国家タロカンが動き出す。
タロカンは地上国家を敵視し侵略の野望を持っているが、今のところは隠れ潜み直ちに動くわけではない。しかし深海ヴィブラニウム探索が進めば、タロカンは自国(と考えている領域)の資源を奪われることに対応せざるを得なくなる。このためにタロカンはアメリカから探知機とその開発者を奪う計画を立てる。
そこで(この辺りの話の流れがどうだったかあまり記憶にないけど)確かネイモアがラモンダとシュリに開発者を引き渡すよう要求する。そもそもワカンダが開国してヴィブラニウム資源を衆目に晒したせいで資源戦争が起こっているのだから責任を取れというわけだ。
そしてなんだかんだで開発者リリィを確保するワカンダだが、タロカンに引き渡す気はないということでタロカンと武力対立した結果、リリィとついでにシュリも人質としてとらわれる羽目になる。
なんだかんだ来賓としてもてなされタロカン文明を満喫するシュリだが、そこにワカンダからの救出要員ナキリが乱入、ワカンダは武力行使でリリィとシュリを奪還するが、その際にタロカン人を殺害する。こういうことをされるとネイモアは国王?として、ワカンダへ報復をする選択しかない。
ということで、資源戦争から他国民殺害を経て戦争へつながっていくという流れがわかりやすく整理されている。基本的にいくつかのターニングポイントではワカンダがだいたい悪いのだけど、タロカンに信用がないのも事実。
つーかワカンダはまともに外交できる人材がいないのではないか。
こういうある種の政治的なゴタゴタやその中で国家君主としてどうあるかというところがストーリーのメインになっており、追悼色が濃いのは冒頭とラストくらいだ。もちろん国王の喪失がワカンダに影を落としているのは事実なのだけど、それが明確になるのはシュリが1人になってからで、そこまでいくとラモンダ死去の方が話の中で比重が大きい。

政治的なストーリーがわかりやすいからと言ってそれが面白いとは限らない。個人的にはワカンダの醜態をずっと見せられている印象で、それが国王不在のせいとかでなくシンプルに外交下手にしか見えない。例えば冒頭のラモンダ演説なんかもそうだけれど、演出的にはワカンダに正当性があり威勢よく論破した雰囲気だけ出しつつ実際の内容は微妙、というようなシーンを見せられるのは、宝石を散りばめただけの無意味なオブジェを見せられているようなものだ。
そして後半からはシュリの醜態が加わってくる。精神的に未熟で、なおかつ信仰の薄いシュリがこうなるのは仕方のないところではあるのだけれど、話の舵取りがシュリに渡りさらなる報復戦争を行うとかいう話になってくると、オイオイという気持ちになる。本土でボロボロに負けたばかりやないか。どういう判断だ。復讐心で判断力を失っているのである。
とまあ、応援したい存在が味方にいないのである。シュリを諌めようとするエムバクに共感しなかった観客はいないだろう。ブラックパンサーの力を手に入れても、ティチャラどころかキルモンガーにも及ばない精神性。
なんなら良くも悪くも筋が通っているのはヴィランのネイモアくらいのものである。

その後の報復作戦はまさかの船の上での戦いで、これがまたどういう判断だとなるし、あんまりアクションとして見栄えも良くない。
この映画、かっこいいシーンが主にワカンダ襲撃時のネイモアの戦闘シーンくらいなのである。足の羽でパタパタ飛んでいるのはシュールだが、見応えのあるシーンだ。
それに対して最後の戦いはなんとも泥臭く、船での乱闘は見るべきところがあまりなく、シュリ対ネイモアでも、乾かされて弱るネイモアにちょっとがっかりしてしまう。
挙げ句の果てに不意打ちの「ワカンダ・フォーエバー」背後爆発トラップ。ワカンダ・フォーエバーをそんなことのキーワードに使うのはなんかこれまでの色々が台無しで失笑する他なかった。ワカンダ・フォーエバーってもっと高潔な、ワカンダひいては黒人の連帯精神の象徴になってませんでしたか!?

そういう感じで、長い上映時間の割にはあまり見るべきところのない映画だった。
ただやはりMCUの良いところでもあり悪いところでもあるのだけれど、見た目のクオリティは保証されているので、毒にも薬にもならない作品に豪華なデコレーションがされているという、いつものMCU映画と言える。見て損したと思う人はそういないだろう。
とはいえVFXもいつもに比べると微妙で違和感を感じるところもあり、かつ目を引くところがなかった。タロカンの描写もやけに暗くディテールが凝っておらず、どうしてもDCのアクアマンと比較してしまうと見劣りがする。方向性の違いと言えばそれまでだが、人の暮らす一大国家としての説得力はなかった。あれだとせいぜい一都市くらいだ。

アイアンハートは特に語るべきところがない。強いて言うなら、最初のゴテゴテスーツは良かったのに、最後の完成スーツがダサかった。

なんにせよ、チャドウィック・ボーズマン追悼映画を名乗るにはあまりに作品に重みが足りないだろうと思う。名乗ってないと思うけれど。
あの映画界を巻き込む追悼ムードは果たしてなんだったのか、と言う気にすらさせられた。そういう意味では、この映画に課したハードルが高すぎたのかもしれない。
所詮はMCU映画でしかないのだった。