劇場アニメ窓ぎわのトットちゃんを鑑賞。12月17日立川シネマシティ。
もう観てからだいぶ(2週間以上)経つのだけど、書く元気がおきずにダラダラと年が明けてしまった。なので記憶などはかなり曖昧になっている。
原作の方は未読。良書と名高いけれどあまり本には手が伸びず、黒柳徹子の子供時代の自伝的作品という知識だけあり。
落ち着きがなく感情表現が豊かなトットちゃんのキャラクター描写にリアリティがあり、面白かった。いや、自伝なのだからそりゃリアルだろうと思わなくもないが、黒柳徹子という人は自己認識が非常に細かく整った人だったのだなと思う。
特に落ち着きがない子供特有の一貫性のなさや関心の移り変わり、小さな出来事に対する感受性の高さと真剣さといった描写がアニメーション映画としても極めて高い説得力のあるものに仕上がっていて、良かった。
要所で挟まれるタッチの異なるアニメーションも効果的だったと思う。
キャラクターデザインは一見ギョッとする人もいそうな感じ(自分もギョッとした)だけれど、見てみるとこの作風にはハマっていたと思う。
以下、一応ちょっとネタバレ含むかも。
泰明ちゃんがメインキャラなのは攻めているなと思った。身障者のアニメーションに健常者の力やバランスの感覚が混じってはいけない。必然的に緊張感を抱きながら泰明ちゃんの動きを見ることになったけれど、(健常者の目から見て)違和感はなかった。トットちゃんと2人で木に登るシーンは情緒的にも技術的にも素晴らしい名シーンだと思う。
個人的には中学の頃の同級生にALSらしき子がおり後に亡くなった(おそらく病状が進行したのだろうと受け止めた)ということがあったので、それを念頭に置いて泰明ちゃんを見ていたのだけど、よく考えると泰明ちゃんはALSではないので、別れを予見したような描写は正しいのだろうか?病状が進行して死ぬような体だったのか?ちょっとそこは気になった。
小林先生がいい先生すぎて逆に違和感があり、どこでボロを出すのかとヒヤヒヤしながら見たのだけど、ボロらしいボロは出なかった。後で聞けば窓ぎわのトットちゃん自体が小林先生を描き残すための作品という面もあるらしく、それくらいは知ってから見てたら下衆の勘繰りをしなくて済んだのにと思った。
特にしっぽ弄りで女教師を叱るくだりがかなり好きで、これも黒柳徹子が記憶していた実話なのだろうか。だとしたらこのエピソードを印象に残しているということは、全体的に幼げに見えてかなりセンス的には聡明な子供でもあったのだろうなと思う。まあ現在の活躍を見れば不思議でもないか。
ただ燃えるトモエ学園を背景にしたシーンは(意図してのことだと思うけど)狂気っぽい演出になっていて人間としての力強さを感じた。これも実際のエピソードなんですね……。
自分はこの映画を、天真爛漫で落ち着きがなくでも「本当はいい子」なトットちゃんが、通り過ぎていく世界の複雑さや残酷さによってその幼さを失っていくような過程が描かれていく作品というふうに受け止めた。電車に乗ってきらびやかな世界を旅するイマジネーションは終盤のトットちゃんからは失われているような気がしてならない。
否応なく戦争に突入していく時代描写は秀逸で、子供の目線から見てふとしたことが積み重なって深刻な事態が想起されるのがうまい。戦争が恐ろしいというよりは、戦争に向かっていく時代が恐ろしいと感じさせられる。そうした目で見ると、今の日本も大きな事が起こっていないだけで時代の狂気は進行しているのではないかと思わずにいられない(戦争に限らず)。
個人的には駅員のおじさんがいなくなったシーンがかなりショッキングだった。一番冒頭のほうで出てくる人物で、トットちゃんの変化の節目に出てくる優しい見守りおじさんのような印象をもっていたのだけど、戦争のあおりでいなくなることは予想できていた。しかしいなくなり方があまりにもあっけなく説明もなく、トットちゃんの「あれ……?」といった感じの仕草だけで済まされる。その存在の軽さがあまりにもリアルでショックだった。
ほとんど非の打ち所がない傑作と言ってもいいと思うのだけど、不思議と自分の心にはそれほど響かなかった。好みの問題かと思う。
キャラデザはハマっているけれど好みかと言われるとそうでもない。アニメーションもすごいけれどそれだけではピンと来ない。
なにかドラマチックなストーリー展開があるというよりも淡々と小さな出来事を並べていくタイプの作品なので感情が動きにくい。その分じんわりと沁みるものはあるのだけど。
うまく好みがハマっていれば2023年トップレベルの傑作と言える出来だったと思う。
ちなみに母と観たのだけど母は3回くらい泣いたと言っていた。
星評価は★★★★☆(かなり楽しめた)あたりかな。