やる気は行動の結果でありやる気が出ないのは行動が上手くいっていないことを示す、と誰かが言っていた。
やる気はやり始めなければ湧いてこないというのはもはや定番の論で、体験的にも正しそうだと思うのだけど、やる気が出たかどうかを行動の評価につなげるのは新しい視点だった。
実際、やり始めたからと言ってかならずしもやる気が出るわけではなく、始めてしまったのでしかたなく続けるということもある。学校に行きたくない時、家から一歩出るとその流れですんなり行けたりするけれど、べつにそれはやる気が出た訳ではなく、自分の中での登校するか否かのラインを超えてしまったのでしかたなく歩いていくだけだ。行ってみて、学校が楽しい場所であれば、自ずと行く気が湧いてくる。
ただ、評価だけしていてもあまり役に立たないので、そこからどうすればやる気が出るかを考えたい。要するに、行動の結果がやる気につながるのだから、行動の結果を改善すればいい。
ただ、それは多分上手くいってるかより気持ちいいかがメインなのではないかと思う。もちろん、上手くいかないと気持ちよくないという場合もあるけれど、上手くいかなくても気持ちよければ次につながるのでは。
となると、場合によっては一見非効率でも快楽に合わせてやり方を調整するのが急がば回れ的にいいのでは、と思う。
とはいいつつ、やる気という概念に振り回されているような気もする。もしやる気のあるなしという考え方がなければ、もっとシンプルに物事に取り組めるのかもしれない。