スパイダーバース2を昨日観たのでネタバレあり感想。1のイントゥ・ザ・スパイダーバースを未見だったので、予めそちらを観てから。最初はネタバレなし。
この前観たザ・フラッシュが年間ベスト級の快作だったのだけど、このスパイダーバース2も年間ベスト級で、後で上半期ランキングでも作ろうと思っている身としては困ったなという感じ。マルチバースを扱ったアメコミ映画でこれだけの作品が、日本ではどちらも同日公開というのも、贅沢というか、すごい。
アメコミマルチバース映画はザ・フラッシュとスパイダーバース三部作でもう打ち止めでいいと思えるほどの満足感で、もうこの二つだけでマルチバースの面白みは大体やりきってしまってるのではないか。
おまけに両方観た人ならわかるが、ストーリーが好対照になっており、それぞれ似たような題材の異なる方向性でエモーショナルに仕上げているのが面白い。(スパイダーバースはまだ途中だけれど、今作に限って言えば)。もっとも、ザ・フラッシュは過去が変わるタイムトラベルものである点がスパイダーバースとは決定的に異なるため、比較するとスパイダーバースの方が王道なつくりではある。
今作は三部作の二作目とはいえ、前後編の前編のような扱いになっているので、また三作目のビヨンド・ザ・スパイダーバースが控えているわけだけれども、この調子ならそちらの出来も安心だろう。なにしろ映像がすごすぎてそれだけで満足できる。
もちろん前作でも映像の凄さは感じたのだけど、スクリーンで見るとやはり迫力が違うし、個人的な印象では前作よりグレードアップしている気がする。細かく違いを言い表すことはできないけれど。例えばそれぞれのアースごとのアートワークの違いがすごく明確だったり、特にグウェンのアースでは、グウェンの感情に背景が対応して抽象化するような表現があるように、表現手法の多彩さも増している気がする。
そしてこの超クオリティの映像がいつまで経っても終わらない。いい意味で、この映画いつまで続くんだろうと思ってしまった。映像体験の密度が凄まじい。実際前作より結構時間が伸びているようで、だいぶ贅沢な作品だと思う。
あまりにも凄いので息付く暇もなく、映画館で買ったフライドポテトの存在を忘れてほとんど食べ損ねてしまった(退場時にあわてて口にかきこむはめになった)。
以下ネタバレあり。
映像の斬新さとは裏腹に、ストーリーの大筋はわりと素直というか王道の内容がゆったり時間をかけて描かれる。スパイダーマンの秘密を抱えたマイルスと両親の関係・グウェンと父の関係というお決まりのテーマ、ヒーローものにありがちなトロッコ問題(だいたいの場合トロッコ問題自体が嘘で実際はみんな助けられる)、自己の探究という要素が、ヴィランやスパイダーマンたち、プラウラーと化したもう一人のマイルスなどという壁と対峙する中で展開する。
特徴的なのは、どれも壁にぶつかった段階で次の話に次の話にと進んでいき、ほとんどが未解決のまま放置されるところだろう。前後編だから(今作で話をつけなくてもいいから)種まきの部分にじっくり時間を割いたのかもしれない。
例えばスポットのキャラクターはマイルスとのドタバタがなくともいきなりポッと現れても良かったのだけど、そこを愛らしささえある小物ヴィランからじっくり変遷を描いたことで、キャラクターの魅力と深みが増している。他のキャラクターもピーターBやホービー、ミゲル、マイルス両親にグウェン父など、しっかりキャラが立っていて、このキャラはどういう考え方をするのかという思想がなんとなく伝わってきて、キャラクターに立体感が出る。
そういう一見本筋とあまり関係なく見える細かい描写の積み重ねが、平面的なストーリーに奥行きを生み出して、味わい深くなるんだと思う。
あるいは充実したバトル・アクションシーンに尺を割いたのかもしれない。冒頭のヴァルチャーとの戦闘パートなんかは、本筋にはほとんど絡んでこないのだけどかなり長くて見応えがあった。
メインキャラでは唯一、ジェシカだけがなんだかよくわからなかった。グウェンの先輩ポジなのはわかるけれど思想がよくわからず、先輩ポジなのにピーターBやホービーほど主体的にサポートするシーンがない(ミゲルの顔色をうかがって半分見放すような態度が多い)ため、ふんわりしたキャラに見えてしまった。パンフを見ると現代的な自立した女性先輩キャラとして制作陣は強い自信があるようだけれど、個人的には設定だけのキャラに見えてしまう。戦闘シーンは楽しいし、行動変容の種はあったので次回作での活躍に期待といったところ。そのバイクAKIRAっぽいね。
キャラクターの中ではやはりスポットの魅力が飛びぬけていたと思う。ユーモラスな小物ヴィランが何かしら精神的にか能力的にか覚醒するのは、ベタながら熱い展開だ(この場合多くは味方になるけれど、今作は巨悪になる)。軽く扱われるのが許せないという動機も、なんだかユーモラスに観ていた自分たちも覚醒に加担したような気持ちになって少し恐ろしくなる仕組みなのがいい。
スパイダーマンの宿敵になりたい、自分は宿敵なんだという思想もバットマンのジョーカーに通じるものがあり(レゴバットマンのジョーカーなんか特にそうだった)、ある意味宿敵にふさわしい精神性があると言える。また互いに相手がヒーロー・ヴィランになるきっかけを作ったという関係性は、89年のティム・バートン版バットマンにおけるバットマンとジョーカーの関係性にも通じる。こういう関係性は自分みたいなタイプのオタクには深く刺さる。
スポットに関連するアートワークもいちいちかっこよくて中二心をくすぐってくる。そもそもウォッチメンでロールシャッハが人気なのはあの白黒マスクがかっこいいのもあるので、スポットは体格の悪いところがあるとはいえ、やはり白黒の模様が展開する様子はかっこいい。
今作はどちらかというとマイルズよりもグウェンの映画だったかもしれない。冒頭もグウェンから始まるし、今作でグウェンのストーリーはひと通り解決している。壁を乗り越えて自立したグウェンが、未だ何一つ解決していないマイルスを助けに行くところでストーリーが終わる。これがただの助っ人胸熱展開だけなのか、それとも新たなドラマに展開するのかが楽しみなところだ。
旧友(1のキャラと一部今作のキャラ)でチームを作るのはシンプルに熱い。山ほどスパイダーマンが出てくる中、前作の愛着ある面々はどうなったんだという気持ちはどうしても出てくる(まあ前作の扱いはポッと出でさしたるドラマもない異世界のスパイダーマンという役割しかなかった気がするけど、シリーズ化するとやはり最初のキャラに愛着はある)。ペニーが一瞬敵対しただけに、チームに入ってくれたのは喜びもひとしお。
あとはやっぱり、いわゆるスパイダーマンの宿命に抗うストーリーなのが面白い。
スパイダーマンのマルチバース展開の中で、たとえば必ずベンおじさん(に相当する人物)が死ぬとか、署長が人をかばって死ぬとか、今作ではカノンと呼ばれるけれども、正直そういうのはいい加減バカらしいと思っていた。どの世界にもスパイダーマンがいるならどの世界でもある程度同じことが起こるだろうという理屈なのかもしれないが、正直「自分も大切な人をなくした」「自分も」「自分も」「自分も」と言われると、またそれを何作もやられると、度を越してやや滑稽にうつる(スパイダーマンが山ほど登場すること自体がユーモアになるように、悲劇もユーモア化してしまう)。別に似たような死に方しなくてもいいだろう。
このある種のバカバカしさがそのままスパイダーソサエティへの疑問につながるような作りになっている(と自分は感じた)。スパイダーソサエティ(ミゲル)はそれをそういうものだとしてメカニズムを置いといて半ば強引にマイルスを説得し、異常分子なんだとまで言うわけだけども、そもそも例外はないのか?ミゲル自身が言うようにマイルス自身がその例外なのでは?それにグウェンの父は署長なのに死なずに署長を辞めようとしているじゃないか、というような疑問の種もまかれている(自分の誤解でなければ)。
結局、マルチバースの中で決まったイベントがあるという設定は、たとえばザ・フラッシュのようにタイムトラベルの過去改変を起点としたものなら納得がいくのだけど、そうでなければ何でそうなるの?と思う。まあ、決まったイベントが起こらないマルチバースって本当にただのお祭り要素にしかならないかもしれないけれど。ザ・フラッシュはその点の処理が超上手かったし、今作もまっとうに疑問を投げかけているのがスパイダーマン映画としてひとつ前に進んだ(というか行き着くとこまで行った)感がある。
まあ、それも次作次第なのだけど……。
まああとはマルチバースのお祭り要素か。スパイダーマンは映画しか見てないので、各映画とのつながりが見えたのは楽しかった。ヴェノムのバースにスポットが行くのは事前に知ってしまっていたのだけど……こういうのが事前に流れるのは本当にやめて欲しい。
意外だったのがドナルド・グローヴァーのプラウラーとしての出演で、彼はMCUスパイダーマンのキャラなのだけど、あの世界でもプラウラーになっているのだろうか。それともよく似た別の人か。
ストーリー的にはやっぱりどうしても前編というところで、種まきに終始してぶつ切りになるのが惜しいところではあるのだけど、異常なクオリティの映像美とアクションシーン、キャラクターの魅力で飽きさせなかったという印象のある作品だった。次作での締め方に期待したい。