雑記
陽性率(東京悪化)

先日4月29日の文章で直近7日間の陽性率について下記のように書いた。

(引用)

大阪の陽性率はここ数日8%弱くらいだが、東京の陽性率は数日前6%弱だったのが27日時点で6.4%と伸びている。

(引用終わり)

では今日の時点ではどうなっているだろうか。大阪は11日時点で6.8%、東京は9日時点で7.9%である(同じ日付を探すのがめんどくさいので、とりあえず公式サイトの一番目立つところに書いてあった数字を見る)。大阪は少なくとも検査体制だけ見れば先月末より改善しているように思える(比較の話であって、約7%ではかなりの検査不足に変わりはない)。東京は明らかに検査数を増やせておらず、悪化の一途である。

現在東京と大阪で見かけの感染者数は同じくらいになっており、陽性率の差を見ると、東京の方が大阪より実際の感染者数は多そうだということがうかがえるが、実際にどんな具合かは検査を増やしてみないとわからない。なんにせよ、対象の多さに対して検査がかなり不足している状態では、数字の信頼性も落ちてしまう。

加えて先日の文章にも書いたが、重要なのは検査数のみではなく検査対象が適切にピックアップされているかもあり、これができていなければ陽性率は不適正に低く出てしまう。私は東京都の検査体制でこれができているとは全く思っていないので、約8%でも実際よりかなり低めに出ているのではないかと思っているのだけど、低めに出ているとしても8%は極めて検査数が不足していることには変わりがない。

東京の方が感染者数は多そうにも関わらず、大阪の方が状況が悪い(医療崩壊とすら言われる)ように見えるのは、大阪の医療体制が脆弱だからだろうと思う。アテにして比較して良い数字なのかは知らないが、入院患者病床使用率は5日時点で東京39%大阪83%、重症患者病床使用率は東京38%大阪80%と雲泥の差である。患者数は概ね同数程度なので、完全に病床数の差、つまり医療体制の差である。東京のキャパが元々大きいところはあるかと思うが、大阪は大阪で東京に次ぐ自治体である。維新政治のツケといったところだろうか。

とりあえず都民としては東京の検査数を増やして欲しいところだけども。さすがに陽性率上がるペースがエグい。2週間くらいで約6%→約8%になるのはやばいって。

国の借金とレトリック

今日はお休みを取った。せっかくの休みではあるが、GWも含めて、全く有意義に過ごせていないため、今日もそんな感じになるだろう。休みについてそういう損得勘定をするのはあまり健全ではないかもしれないが、しかしGW中ほとんど何もせず過ごしたと言うとさすがに度が過ぎている感があり、そう思ってしまうのも無理はないといえる。

さて、起きたら下記のようなニュースが出ていた。

国の借金、過去最大1216兆円
20年度末、5年連続で更新

「国の借金」「国民一人あたり」よくある国の借金論である。このレトリックが誤解を誘導するものであることはもう周知されているので、Twitterでは当然反緊縮派にケチをつけられまくっている。こういうしょうもないことをしていると、普段は騙されないぞ真実を見抜くと言いながら騙されている陰謀論者でさえ、そのスタンスが珍しく見事にハマる。個人的には陰謀論者に本物の成功体験を与えてほしくはないのだけど、しかたがない。

とはいえ、どういった欺瞞なのかというのをフラットな視点から説明する文章というのはあまりないと思うし、私もよくわかっていない。周知され常識となると、逆に私のような表層的な理解が蔓延してしまい、玉石混交で言えば石だらけになって玉が埋もれていく。あるいは詳しそうな人でさえ、こうするべきだという過激なイデオロギーに基づいて解説したものも多く、それはそれで信用に欠ける。

なので、結構前に見つけた文章ではあるが、そこそこフラットっぽい説明へのリンクを張っておく。

「国の借金」というレトリック | 西 孝 – 世界経済評論

国語の話として説明されているが、補足すると、国語の話で言えばたしかに「国民一人あたり」とだけ言えば「国民一人あたりに政府が負っている債務の平均」と解釈することは十分可能だし、「将来世代への負担」は「将来世代に対して政府が負う負担」と解釈することも可能なので、このレトリックを嘘だ欺瞞だと言えば「いや、嘘ではない」と言い張り突き返すことは不可能ではない。しかしこの場合「嘘だ」という側は「国民が負っている負担というのは嘘だ」と言いたいのに対して、「嘘ではない」という側は「政府が負っているので嘘ではない」という意味である。しかしそれは詳しく説明しなければ話がすり替わっていることはわからない。まさにそれがこのレトリックの欺瞞である。

この欺瞞の核心はリンク先でも次のように書かれているとおりだ。

(引用)

昔から庶民は,政府を「お上」とか「お国」と呼んでいた。だから「政府の借金」も「お国の借金」も,庶民にとっては似たようなものなのだ,とでもいうのだろうか?

(引用終わり)

つまり、このレトリックで言っている「国」とは「政府」のことなのだが、一般的には「国」は「国民」を含む概念だ。日本はすごいんだと言われて、日本政府(だけ)がすごいと言われていると解する人はあんまりいないと思う。だから「国の借金」「国民一人あたり」などと言えば「日本国民が何かに対して負っている借金だ」という印象を与えられる。

このレトリックの根底には「国とは政府である」という前提がある。あえて誤解を狙ってそう表現するのも問題だが、仮に無邪気にそのような認識の元で発しているとしたら、それはそれで問題である。そこには政府主権的なイデオロギー、即ち政府に従属する立場として国民を位置づける価値観が垣間見えないか。まあ日本においてはそうした価値観は珍しくないのだけど。

と、偉そうに書いてはみたが、最初に書いたように私は経済については全くわかっておらず、リンク先の文章に完全に寄りかかって「国語の問題」として考えたに過ぎないので、国語以前の前提が間違っているかもしれない。

レトリックを駆使して煙に巻くタイプの話……要するに詭弁というやつは、実のところかなり説得力がある。説得に特化したレトリックを用いているからだ。さもわかりやすく解説したように見せて話をずらしていく。特に例え(比喩)については注意するべきで、議論の中で何かしらの例えが出ればまず話者に都合よく話をずらされていると考えていい。

例えば、ぶどうジュースみたいなものだからと説き伏せられてワインを飲まされる時、飲まされる方は味やアルコール分を気にしているのに対し、飲ませる方はあえて原料にフォーカスしてぶどうジュースに例えて説き伏せている。全然ぶどうジュースと味違うじゃないですか!と怒られても「ぶどうの絞り汁には違いないじゃないか」とすっとぼけられるのである。当然こんなやつの勧めるものは二度と口に入れたくない。

……と、私自身何かを説明する時に「例えば〜」などと言って奇妙な例えを作り始めてしまい、話がズレてしまったと後から反省することが多い。「例えば〜」で始まる例え話や「〜のような」とつく直喩なら簡単にそれとわかるが、「国の借金」もまさしく例え(隠喩)である。ただしこのような隠喩はなかなか誤った例えかどうか直観的にはわからない。

レトリック自体は悪いものではなく、むしろ言語表現を言葉の数に関わらず無限に広げてくれるツールだと思うのだけど、なにしろ過去レトリックと言えば修辞学、弁論術、説得術といったものを意味し、まさに相手を丸め込む技術そのものだったわけで、今扱っている言語表現としてのレトリックもその内に含まれていた以上、やはりそうした目的にも大変な効果がある。

とはいえ騙されないぞと気を張っても、普通に騙されるどころか、余計に騙されやすくなり陰謀論などに走ってしまうので、あまり気にしない方がいいような気もする。

私の中では先述したとおり、「例え話をしだしたってことは、なんか俺の話どんどんズレてないか?自分にとって都合よくねじまげた説明じゃないか?」と自覚するための指標にはしている。ただ、先程のワインとぶどうジュースの例え話はわりと話に合っていた……と思いたい。

清泉亮氏について

清泉亮という名前を昨日知った。何で知ったのかと言うと、山口連続殺人放火事件の死刑囚保見光成についての記事の筆者としてである。

山口「八つ墓村事件」、保見光成死刑囚が弁護士にも語らなかった“田舎暮らしの地獄”https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07251100/?all=1

そもそも私は別の未解決事件の話を見ていたところ、この事件におけるゴールデンレトリバー「オリーブ」の話(保見逮捕の1分後に死去)をたまたま見かけ、この事件を知って興味を持ったという流れになる。この事件についてはほとんど記憶になかった。

先程の記事はなかなか読ませる文章で、田舎でのひどい仕打ちに保見死刑囚への同情の念がかきたてられたのだけど、内容としては同事件のルポ「つけびの村」(高橋ユキ)と齟齬があるように見える(つけびの村は紹介記事を見ただけで、書籍の内容は読んでいない)。どちらがより事実に近いのかは私はわからない。しかしこの清泉亮というライターは田舎関連の著述業がメインであり、過去の記事等を見るに田舎叩きの内容が多いので、その辺は誇張されているところがあるかもしれない。とはいえ実際田舎の面倒なところは否定できないので、田舎叩きが多いから偏向しているとも言いづらい。

なんにせよ少し興味が湧いたのでこの清泉亮氏について調べてみると、もともとはノンフィクション作家だったらしく、新聞での書評や田舎とは関係のないネタも多い。興味深いものでは、週刊新潮において2017年11月頃に「卜兆鳳こと川井龍夫」の情報を募集していたらしい(https://twitter.com/urbansea/status/933377348128215040?s=21)。検索したところ卜兆鳳というのは「裸女と白狼と大地と」(沢徳次郎)「天皇を救った男 笠井重治」(七尾 和晃)にも記載がある。しかし田舎ネタはなかなか人気があったようで、近年はほぼ一辺倒と言っていいだろう。テレビやラジオにも複数回出演したことがあるらしく、出演時の画像も出てくる(羽鳥慎一モーニングショーにも出演していた)。

書籍も複数あり、特に「誰も教えてくれない 田舎暮らしの教科書」(東洋経済新報社)は人気があったようだ。一方でTwitter検索したところでは、田舎叩きライターとして苦言を呈すツイートも少数見かけた。田舎叩きはネットではわりとウケやすいネタだが、反感を抱く人も当然いる。

詳しいプロフィールは謎の部分がある。そもそも筆名の清泉亮は明らかに清泉寮(山梨県北杜市)のもじりである。実際山梨県北杜市には住んでいたらしい。生年については1962年という記述と1974年という記述があるが、後者の方が多い。田舎暮らしの教科書冒頭ではおよそ20年前に22歳だったと書かれているので、1998年頃で22歳となると1974年生まれの方が正しいはずだ。またその記述においては、20歳頃まではアメリカにいたそうだ。ちなみに書籍はKindleの無料見本分だけしか読んでいない。

さて、調べるにあたりGoogle検索してみたところ、いきなりサジェストに「清泉亮 死去」と出てきた。そして死去のソースらしきものが以下のツイートである。

https://twitter.com/9lwy09pKCWtw2gZ/status/1351312196702150658?s=19

(引用)

清泉亮
@9lwy09pKCWtw2gZ
清泉亮 死去の御報告と御礼
2021年1月15日、清泉亮は長野県内の国道を走行中に、対向車線からはみだして逆走してきた軽トラックと衝突し、1月16日早朝、死去致しました。
生前お世話になりましたかた、また読者の皆様に御報告申し上げますとともに、御礼を申し上げます。
午前8:35 · 2021年1月19日·Twitter Web App

(引用終わり)

これについてはどうなんだろう。まずこのアカウントが既に怪しい。21年1月作成のアカウントなので、おそらくこのツイートのためだけに作られたアカウントだろう。当然ツイートへの反応も全くない。RTは1人だけだし、いいねに至ってはこのアカウント自身によるセルフいいねだけである。そうなるとRTも自演か?と思わされる。実際RTしている人は清泉亮へ妙に関心が強い人らしく、Twitterで清泉亮と検索するとこの人のツイートがたくさん出てくるが、この人自身は清泉亮の死去に疑問を持っているらしい。

https://twitter.com/kk_hirono/status/1370957948143345670?s=19

(引用)

刑事告発・非常上告_金沢地方検察庁御中
@kk_hirono
長野県警察のホームページでは,令和3年3月11日(70日目)で,累計の死者数が3人とあります。先程は長野市を長野県と勘違いしていました。まだ事故の発生自体が確認できない清泉亮氏の死亡事故になります。
午後1:40 · 2021年3月14日·告訴状-2013-金沢地方検察庁御中_API

(引用終わり)

事故の発生自体が確認できないという。実際、死亡事故ともなればニュース等は出る可能性が高い。わざわざ調べているということは、少なくともこの人は当該の訃報アカウントとは関係がないだろう(そもそも普段のツイート内容も清泉亮とはかけ離れた文章だ)。

とはいえ、一応ライターで複数書籍も出しているのに、訃報に関係者らしき反応すらなく、この人のみというのはおかしな話である。逆に言えば、この人は清泉亮に強い関心を持ち日常的に調べているだけの第三者であるから反応したのであって、直接清泉亮と関わりのある人間には訃報自体が届いていないのだろう。つまりその点からもこの訃報には疑問符がつく。

さて一方で、清泉亮のWikipedia記事も作成されている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B3%89%E4%BA%AE

こちらは奇妙な内容で、概ね正しいのだがソースを明示しない要出典が多く、「徹底的なマスコミ嫌い、メディア嫌い(中略)誰からも連絡が取れない隠棲を貫いた」の記述は明らかに事実に反しているように見える。羽鳥慎一モーニングショーほかテレビラジオに出演するような人間が、徹底的なマスコミ嫌いメディア嫌いで誰からも連絡が取れない、はないだろう。

おまけに編集履歴を見るとさらに奇妙なことがある。まずこの記事は1月23日に作成されている。おおむね訃報ツイートの直後と言って差し支えないだろう。つまり訃報ツイートを受けて作られた記事だと見るのが自然だ。訃報ツイートに表立って反応したのは先述のRTをした人物のみだが、この人が記事を作成したとは考えにくい。加えて初版を見ると、マスコミ嫌いの記述はこの時点からあるし、なんと清泉亮という筆名は初代の死去を受けて有志編集者らによる共同執筆の二代目に引き継がれたという記述もある。当然ソースの呈示はない。この他にも著作ごとに異なるペンネームを用いていたなど、ネット上では他に見かけない内容だ。この初版作成者は何者なのだろうか?後にそれらの内容は別のWikipedia編集者「Unamu」によって独自研究として記事作成後わずか1時間で削除され、さらに2021年4月24日、編集者「Lovely chacha」により「所属事務所の発表がないためツイートは悪質な悪戯と思われる」として死去関連の記述も削除されている。

私も訃報は悪質な悪戯であるという点には先述のとおり同感で、おそらく清泉亮を名乗る訃報アカウント作成者とWikipedia初版作成者は同一人物ではないかと推測する。死亡事故の事実が見つけられず、所属事務所の発表もなく、訃報への反応も皆無、Wikipediaの奇妙な内容を総合すると、清泉亮に対する何らかの悪意がうかがえる。まあ、田舎叩きの内容を多く書いていたため、そうしたところの恨みを買うこともあるかもしれない。

さて一方で突然出てきた「所属事務所」についてだが、実は清泉亮はタレントとして事務所に所属しており、執筆や出演依頼の窓口はそこだけらしい。その事務所は株式会社アセティア。公式サイト(https://www.asetia.jp/)には広告代理店と書いており、昨年12月28日のタレント募集サイトの記述(https://deview.co.jp/Audition/Overview?am_audition_id=28495&set_cookie=2)を見ると、昨年末の時点でタレント4人とスタッフ3人で、タレントにすみれおじさん、清泉亮、白河有希、石川麻衣が挙げられている。公式サイトにも清泉亮のテレビ等への出演情報が掲載されている。また、すみれおじさんへの誹謗中傷等に強く反応していることから、タレントの訃報ともなればかなり強く反応するはずだ。しかしそんな記述はない。

清泉亮とは業務提携開始のリリースが2018年7月22日にされている。ちなみに公式サイトではアセティアの設立日は2018年3月15日、22日に登記完了と書いている。タレントとの業務提携事業については2018年7月25日に公式サイトに記載されており、清泉亮と提携を開始した3日後である。ここでは業務提携について「芸能事務所には所属したくないが、オーディション情報や仕事の募集情報を知りたいという方向け」と書いてあるため、上述の「所属事務所」という書き方は厳密には誤りかもしれない。3日後ということで、清泉亮の活動のためにアセティアのマネジメント事業を立ち上げたのでは?と邪推したくなるところだが、看板タレントであるすみれおじさんとは、公式サイトでは2019年3月26日にマネジメント契約の発表がされており、石川麻衣は2018年6月27日に業務提携、白河有希とら2018年6月15日に業務提携の発表をしているので、清泉亮は業務提携組の3人では最も遅い。清泉亮が気になるからといって清泉亮中心に物事を考えすぎて邪推するのはナンセンスと言える。

ちなみにこのアセティア、アニメイベントやコスプレイヤー、グラビアアイドル関連が主な事業分野のようだ。そのため、「清泉亮」「田舎ネタ」が不自然に浮いており、少し興味深いところではある。とはいえ、上述の業務提携発表順を見るにもともとそういうオタク関係事業が先にあったようなので、単に清泉亮と業務提携したからというだけだろう(それにしてもどういう流れでオタク系広告代理店と清泉亮がつながったのかは気になるところだ)。

そしてアセティア公式サイトを見ると、21年3月……つまり清泉亮の訃報ツイート後……に、新しい田舎本のリリース告知がある。「地獄の田舎暮らし」(ポプラ社)。著者は柴田剛(しばた つよし)という作家で、同漢字名の映画監督(しばた ごう)とは恐らく無関係だろう。アセティア公式で発表していることや執筆依頼等の窓口がアセティアとされていることから見て、上述の4人以外に新たに所属したタレントと考えられる。しかし上述のとおりアセティアの事業における清泉亮と田舎ネタの浮きっぷりを考慮した上で、極めて短絡的に考えれば、この柴田剛とは清泉亮の変名ではないか?という疑問に当然たどりつく。あるいは、Wikipedia初版の極めて怪しい記述を採用すれば、「有志による二代目」が柴田剛になったのかもしれないし、「著作ごとに異なるペンネーム」の一つかもしれない。

当然、全く関係がないことも考えられなくはない。そもそもWikipediaの記述を置いても、売れ線の田舎ネタ作家が死去したために後継を据えるのは十分考えられる。

さてこの柴田剛についてだが、検索すると現代ビジネスやプレジデントオンラインに執筆記事を確認できる。プロフィールは「地方移住や老後の住み替えなどについて取材するライター。」とあり、上述の2サイトで最も古い記事は現代ビジネスで2020年12月10日となっている。つまり、清泉亮の死去(及び訃報ツイート)を受けて据えられた後継ではないということだ。昨年末のタレント募集サイトに記載がないことについては、ページの記載内容が古いということは普通に考えられるので、特に問題ではないだろう。

一方で清泉亮については、最も新しい記事と思われるのはこれも現代ビジネスで2020年7月14日の記事だが、その後2020年9月28日、AbemaTVのアベプラに出演しており、おそらくこれが最新の露出だろう。https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p2250

つまり、清泉亮と柴田剛の活動は時期的に重なっておらず、さらに柴田剛は清泉亮の安否と無関係に登場した。あと先程書き損ねたが、柴田剛とアセティアの業務提携やマネジメント契約の発表はされていない。これは邪推すれば、もともと提携していた……つまり清泉亮の変名だからではないか?とも考えられる。ただ、いちいち全部発表するものなのかは私にはわからないので、無関係である可能性も十分にある。

まとめに入ると、私としては、清泉亮は死んでいないと思いたいところだ(死亡事故などない方がいい)。この場合、訃報は悪質な悪戯ということになる。そうした嫌がらせがあるということは、Wikipediaもその一環で書かれた可能性は高い。加えて邪推を重ねれば、柴田剛は清泉亮の変名ではないかと思われる。その場合、なぜ変名したのか?(記事や著作の方向性は変わっていないように思えるのに)が気になるところだ。まあいずれにしろ、「良かった……死んだ人なんていなかったんだね……」でめでたしめでたしとしたいところだ。

死んでいた場合はどうなるか?こちらは死んでいない場合よりやや謎が多くなる。まず、訃報アカウントは誰なのかが気になるところだ。代理で報告し御礼までしているところからして、関係の深い人物だろう。ただその場合アセティアから発表するべきものではなかろうかという疑問は残る。そしてWikipediaはこの訃報を受けて書かれた可能性が高く、内容の奇妙さについては謎である。訃報アカウントの作者が自分しか知らない情報を書いたのかもしれないし、無縁の悪質な悪戯かもしれない。そして柴田剛についても謎である。売れ筋の田舎ネタ二代目を用意したと考えるには、訃報と無縁である点が気になるし、柴田剛登場から約3ヶ月、清泉亮ラストから約半年で書籍が出るのは早すぎる気がする。私は業界を知らないので、実際のところこんなもんかもしれない。しかし少なくとも清泉亮の生前に登場しているし、安易に同事務所で田舎ネタ二人目を作るのは、清泉亮の営業妨害ではないか?

死んでいたケースその2として、交通事故という死因が本来の死因を隠すための嘘である可能性がある。もはやここまでくると完全な妄想である。仮にそうだとして、不慮の死であればあえてこの線を考える意味はないので、予期された死であったと仮定する。この場合柴田剛について別の推測ができる。つまり、清泉亮の死に備えて二代目を用意したということだ。この場合は生前に用意しておくのは当然だし、生前の清泉亮が柴田剛に積極的に関わった可能性も高い。しかし根本的な問題として、田舎叩きネタにそこまでする意味があるか?という疑問が残る。そんなに大ブームで金脈なわけでもあるまいし、アセティアとしては田舎ネタはむしろ傍流ではなかろうか。これが著名な小説家とか権力者なら醜聞ではありつつもなかなかドラマチックな話だが……。

なので繰り返しになるが、謎が少ないという点でも、私は死んでいない説を推したい。

……とまあ、さほど有名でもないライターについてやけに熱心に調べてしまった。未解決事件が好きなことからもわかるように、探偵ごっこが好きなのだ。検索すれば1ページ目に出てくるような内容ばかりとはいえ(というかそもそも情報がない)、調べれば調べるほど奇妙な内容や最もらしい邪推に辿りつくのはなかなか楽しいものだった。

とはいえまだ書き加えておきたいことがある。冒頭の方で軽く書いた、清泉亮が情報を募った卜兆鳳の件についてだ。卜兆鳳について記述のある書籍として、「天皇を救った男 笠井重治」(七尾 和晃)があると書いた。この著者七尾和晃氏についてもまた、Wikipediaの記事がある。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%B0%BE%E5%92%8C%E6%99%83

大まかに抜粋すると、こんな内容だ。「覆面作家」「初代」「1974年生まれ」「ニューヨーク市クィーンズ区生まれ」「二代目」「有志による共同執筆方式」……。覚えのある内容ではないだろうか。これは清泉亮のWikipedia初版ページの記述に酷似している。七尾和晃初代は2015年12月27日没と書かれている。七尾和晃は石川県金沢市出身、清泉亮は東京都文京区出身とWikipediaに書かれているが、清泉亮は先述したとおり20代になるまでアメリカにいたという(田舎暮らしの教科書)。

七尾和晃については2014年に初代が引退し二代目が有志による共同執筆体制となったのは事実らしい。なにしろ徳間書店公式サイトに書いてある。ここまで堂々と書かれていることを考えると、雑誌の紙面なんかでは細かくその辺の経緯が書かれていたのかもしれないが、ネット上では見つからなかった。

https://www.tokuma.jp/smp/author/a213258.html

このWikipedia記事の初版は2016年3月10日だ。初版からほとんど記述は変わっていないが、初版では外部リンクに下記のリンクがある。

(引用)

(引用終わり)

リンク切れで内容は確認できないが、Internet Archiveで閲覧することができる。平成17年(2005年)3月3日付となっており、内容は引用しないが、まあ事実にしろ嘘にしろなんともしょうもない内容である。2005年には既に七尾和晃に恨みだか妬みだかを持つ人間がいたということか。余談だがこの「論談」というサイトはどうも総会屋「論談同友会」?の運営するサイトだったらしく、正木龍樹氏や政田幸一氏の名前がある。総会屋?こわ……となるが、今回の話には特に関係ない。まあ、匿名掲示板のようなものだったようだ。

この外部リンクは2016年3月12日に別のWikipedia編集者によって「外部リンクのソースが不確定な誹謗中傷だったので」削除される。実際誹謗中傷とされて当然の内容なのでこれ自体は問題がないが、削除を行った編集者のユーザー名は「Lovely chacha」。見覚えがある。そう、このユーザーは清泉亮のWikipediaにおいて、「悪質な悪戯ではないか?」と死亡関連の記述を削除した編集者なのだ。

まあ、同じ編集者がいじることはよくあるかもしれないが、Lovely chacha氏は現時点で編集回数が68回ということで、なかなか珍しい確率だ。この人は続いて2016年4月17日に、七尾和晃(初代)の没年についても「ソースが存在しなかったため、ソース部分のみ削除」している。このソースについて初版ページを見ると、下記のとおり記載されている。

(引用)

^ 清泉亮@SeisenTohru(2016年1月9日) 2016年2月2日閲覧。

(引用終わり)

なんと、清泉亮がここで出てきた。アカウントは現在存在せず当該ツイートも見られない(Internet Archiveにもない)ものの、没年のソースとされていることから、七尾和晃の訃報を知らせるツイートであった可能性がある。このアカウントは清泉亮本人のものだったのだろうか?現在Twitterで検索すると、過去SeisenTohruに反応したツイートはbotのツイートのみしか見つからなかった。

さて、どういうことになるのだろうか。先述した卜兆鳳について記述のある「天皇を救った男 笠井重治」は2018年12月出版である。清泉亮が卜兆鳳について情報を募ったのは2017年11月頃。「天皇を救った男」を書いたのは明らかに二代目七尾和晃だが、清泉亮と七尾和晃の間に何らかの関係があることは当然推測できるところだ。「天皇を救った男」の著者は清泉亮ではないか?とも思えるが、二代目七尾和晃は有志による共同執筆方式とのことなので、あまり関わっていないかもしれない。

「天皇を救った男」について、Amazonで冒頭試し読みをしたところ、七尾和晃の自分語りがあった。これによると、2003年には週刊新潮編集部に席を置く28歳だったという。1974年生まれで計算は合う。週刊新潮にいたというのも合っている(もっとも、先述した「誹謗中傷」では週刊新潮に席はなかったとしているが、今回はあまり重要な部分ではない)。そもそも七尾和晃と清泉亮のプロフィールの一部一致はどういうことなのだろうか?架空の人格だとしても、設定を引き継ぐ必要はないように思える。初代七尾和晃の引退は2014年、清泉亮は遅くとも2014年11月27日発行の週刊新潮において田舎ネタの記事を書いている。https://ci.nii.ac.jp/naid/40020264429/amp/ja

清泉亮は2014年に山梨県北杜市へ移住したという。七尾和晃と清泉亮にとって、2014年は節目の年に思える。短絡的に考えれば、2014年に引退した初代七尾和晃が山梨県へ移住し清泉亮となったと推測することもできる。設定が共通しているのはベースが同じだからと考えるとすっきりする。

初代七尾和晃=清泉亮と考えると、訃報ツイートの意味合いが変わってこないだろうか。先述したとおり、初代七尾和晃の訃報(と思われる)ツイートは清泉亮名義のアカウントから発信されたと推測できるが、この訃報は筆名を変えたことを意味しているのではないか。そうすると、今回の清泉亮訃報ツイートも、筆名を(柴田剛に)変えたことを意味しているのでは?と考えることもできる。

とはいえ、じゃあそんなことをする理由は何かというと全く思いつかない。前のライター人格は死にましたよ、ということかと思うが、わざわざ訃報としてツイートするのはなぜだ?だいいち誰がそれをしているのか。清泉亮本人か、第三者か。正直なところここまで来ると、片手間にスマホでこの文章を書いている私の中では整理がつかない。腰を据えて考えないと。とはいえそこまでするのも面倒だ。

書き損ねていたが、清泉亮のWikipedia初版作成者は七尾和晃のWikipediaを参照して書いたと思われる。清泉亮において、二代目の情報は(少なくともネット上では)出ていないはずだ。また、清泉亮Wikipedia作成者は清泉亮を覆面作家と書いているが、清泉亮は普通に顔を晒している。つまりさほど考え無しにとりあえず七尾和晃のWikipediaから記述を引っ張ってきたと思われるが、それはつまり、清泉亮と七尾和晃を当然のように結びつけて考えたからだと思われる。

私が清泉亮=初代七尾和晃と考えたのはこの清泉亮Wikipedia作成者のいわば誘導によるところが大きく、裏を返せばそれ以外に直接的に結びつける情報はあまりない。1974年生まれのノンフィクション作家で米国暮らしの経験がある。あとは週刊新潮(七尾和晃は週刊新潮編集部出身、清泉亮は2014年週刊新潮で初出)と、それぞれ訃報ツイートがあったことが似ているくらいか。訃報ツイートは清泉亮を名乗る第三者の捏造の可能性も十分にある。七尾和晃の訃報ツイートをした清泉亮のTwitterアカウントが残っていればもう少し判断材料もあったのだけど。私ならこの程度の材料で清泉亮=初代七尾和晃といきなり結びつけて考えることはできない(言われて初めて確かにと思う程度)。清泉亮Wikipedia作成者はよほど自信があったというかはじめからそう考えていたのだと思うが、この作成者は本当に何者なのだろうか。

さらに補足として、Lovely chacha氏についてだ。この人のWikipedia編集履歴を見ると、2015年10月からグラビアアイドル、アニソン、アニメフェス、コスプレイヤーなどの記事を中心に扱っていて、もろにアセティアの事業分野と被っている。すみれおじさん、Anime friends、ヤングチャンピオン関連もよく編集し、これらはもろにアセティア案件である。その中で異質なのが七尾和晃の記事、清泉亮の記事、そして山口連続殺人放火事件の記事だ。当初はノンフィクション作家に関心があるためどちらも編集してあったのかと思ったが、ノンフィクション作家の記事は七尾和晃と清泉亮のみだった。つまりこの人もまた、七尾和晃と清泉亮を結びつけて編集したと考えるのが自然だろう。ちなみに山口連続殺人放火事件の記事については、清泉亮による記事の内容を記載し、その一年後自ら削除した感じだ。

正直なところ、編集履歴の偏りっぷりから言ってアセティアの関係者か熱心なアセティア推しファンのどちらかに思えるが、そう考えたとしても2016年の時点で七尾和晃の記事を編集していたことは特筆に値するかと思う。ヤングチャンピオンだのアイドルだのは趣味と思えばいいが、七尾和晃は……個人的な推し作家とか?関係者にしろファンにしろアセティア及び清泉亮周辺に通じた人物と仮定すると、訃報ツイートを悪質な悪戯とするのにも一定の信頼性があるような気がする。また、この人は清泉亮の死去関連は削除したが、七尾和晃の没年はソースが消えているとしてソース削除のみに留めている。つまり、初代七尾和晃の死および没年月日については認めているととれる(ソースが消えているのに)。これは何を意味するのか。まあ、べつに事情に通じてなどいない完全な第三者の可能性も十分あり、その場合はなんの意味もないだろうと思うけれども。

清泉亮……アセティア……柴田剛……七尾和晃……週刊新潮……訃報ツイート……Wikipedia作成者……Lovely chacha……繋がるようで繋がらないようで、なんとも混乱してしまう。謎というのはワクワクして時間をむやみに費やしてしまうが、さすがにもうやめておく。

第一、謎というのは文字情報等不完全なメディアを通して見るから想像がふくらみワクワクするのであって、現実の物事として落とし込んでみれば面白みはだいぶ欠けてしまう。ネット越しに文字情報だけで知っていた人も、直に会えばまるで印象が違うし、実在性による良い意味での幻滅みたいなものがある。未解決事件だって、犯人がわかってその顔と謎が明らかになるとなんだそんなことか……と思うことになるし、犯人と直接話すようなことになれば、たとえ想像通りの人物だったとしても幻滅するだろう。

いないとは思うがここまで読んだ人がいるとすれば、清泉亮等について極めてミステリアスな印象を持ったかもしれない。でも彼は顔も声もわかるただのおじさんだ。その他の人物にしろ、顔も声もわからなくとも、その辺にいるただの人であり、謎は自分の頭の中にしかない。ここまで書いておいて今更だが、ただの興味本位で根掘り葉掘り調べて謎扱いして面白がるのは、実在する人物相手に大変失礼なことだと思う。すみません。

この文章は清泉亮、アセティア及び記載した全ての人物、組織について、誹謗中傷の意図は全くないことを、最後に書き添えておく。

アイドル部の思い出その1

アイドル部の卒業については既に書いたので、改めて私から見たアイドル部の思い出について、今後折に触れ書いていきたい。その1と書いているが、その1で終わるかもしれない。

私がアイドル部を知ったのは2018年8月11日、最初のシロ生誕祭だった。しかし、この時点では全く関心を持てず、のめりこむのはこのすぐ後、金剛いろはと月ノ美兎のコラボ配信(の直前)からとなる。

私は元々2017年夏くらいからキズナアイを見始めたのだけど、Vtuberブームにはあまり乗れず、個人勢やにじさんじ等の勃興についても、少し離れて眺めるだけだった。元々個人のゲーム実況や生配信にはあまり馴染みがなく忌避感すらあったので、ゲーム実況を初めて観始めたのはキズナアイからだし、生配信についてはこの時点でもまだ避けていたところがあった(とか言いつつ、Vtuberを知る前には自分でひたすら壁に向かって話すニコニコ生放送やpixiv sketchをよくやっていたのだけど)。

アップランドのVtuberに話を移せば、キズナアイを知り程なくして電脳少女シロも知った。私は時折ふたばのimgを覗いていたので、そこでスレが立っているのを見かけたのだ。キズナアイみたいなのが増えたんだなあと興味深く見たのだけど、残念ながら当時は作り声が受け付けず、ハマることはなかった。言い方は悪いが、「」はマイオナの傾向があるので、その一環なのだろうというふうに感じた。そのため、その後上述のシロ生誕祭まででシロを見た記憶があるのは、バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん(ねこます)とのコラボ配信くらいだった。シロ生誕祭はAR演出がすごいと聞いて見に行った記憶がある。

さて、Twitterには他人のいいねしたツイートを流してくる機能があり、当時は私のTLにも他人のいいねが時折流れてきていた。シロ生誕祭直後、その中に金剛いろはの動画ツイートがあった。金剛いろはと月ノ美兎のコラボが決まったことで、アイドル部ファンが宣伝をしていたのだ。「1分でわかる(わかる)金剛いろは」という動画だった。https://www.nicovideo.jp/watch/sm33669033

これは今見ても非常に出来の良いまとめ動画だと思う。要点はしっかり押さえているし、ファンのネタも盛り込み、ビゼーのカルメン前奏曲で愉快さを増し、テロップ解説付きでテンポよく流し、それで全体1分くらいである。1分というのは軽い気持ちで見ようかなという気分になるギリギリのラインだと思うし、実際私もさほど興味はなかった。Vtuberのまとめ動画自体は珍しくないが、だいたい5〜10分くらいなので、推しのものでもそこそこ決断力が要る。小分けの方がありがたい。

ちなみにこの動画がどれくらい要点を押さえているかというと、3年間の活動後卒業した現在に至るまで、活動3ヶ月目に作られたこの動画だけで7割くらい金剛いろはというコンテンツの見所を網羅している(個人の感想です)。あまり金剛いろはについて語るのも話がズレるので、それはまたの機会にしよう。とにかくそれだけ宣伝として出来の良い動画だったということが言いたかった。

この動画をきっかけにして、私は金剛いろはにハマった。その後の月ノ美兎コラボ配信は当然見たし、アーカイブも全て遡って見た。そして、先述の動画で「アイドル部のいじられキャラ」と紹介されていたが、それを楽しむには他のアイドル部メンバーの配信も見る必要がある(例えば動画では夜桜たまの配信が紹介されている)。そうして私は他のアイドル部メンバーの配信アーカイブも漁るようになり、気付けばアイドル部というグループの箱推しファンになっていたというわけだ。生配信への忌避感など完全に消し飛んでいた。

明確に箱推しになったと言えるのは、他のアイドル部メンバーの配信をリアルタイムで観るようになってからだと思う。記憶が正しければ、金剛いろは以外で初めてリアルタイムで視聴したのは八重沢なとりの誕生日配信だったと思う。これが18年8月25日なので、当時ニートといえど過去のアーカイブ消化にはけっこう時間がかかったことがわかる。(追記:書いた後で確認したところ、8月22日の夜桜たまのStardew Valley配信の方がリアタイで見たのは早かった。次が八重沢なとりの誕生日配信だったと思う)以後はほとんどリアルタイムでアイドル部の配信を見るようになった。

その頃、よみうりランドにてVtuberのイベントが9月に予定されており、.LIVEの参加も決まっていた。私が知った時にはけっこうチケット発売(8月14日頃)から時間が経っていたのだけど、当時のVtuber人気はそれほどでもなかったので、.LIVEの参加するホールイベント(9月17日と9月22日)のチケットは簡単に購入できた。一応抽選だったが、確実に当たると見込めるくらい、それまでの売れ行きが悪かったような記憶がある(この辺りはよく覚えていない)。申し込んだのが8月30日のことだったので、この時には完全に箱推しだったと言える。

すっかり箱推しと化した後、9月頭にはアイドル部初の3D化が始まり、よみうりランドのイベントが行われるのだけど、そこからはまた別の機会に書こうと思う。

今思えば、この3D化直前の時期が早くも私にとってのアイドル部のピークだった。そこからは正直なところ、良いことと同じくらい悪いこともあったし、19年に入ってからは前の記事で書いた通りフェードアウトが始まってしまう。

まあ、私がハマる8月半ばまでにもファンにとって悪い事件や要素はあったが(ピーマンくん等)、私はそれらのショックをリアルタイムで体験したわけではないため、当時はさほど気にしてはいなかったというだけの話でもある。そういう事実自体は重く受け止めてはいたけれども、感情的には、やはりそれ以前の古参とは雲泥の差がある。つまるところ、ファンにとってのピークは人それぞれで、私にとっては9月頭くらいがピークだったと言えよう。

それでもやはり、それ以降も身が震えるほど嬉しい出来事というのはたくさんあったので、当面はその辺りについて詳しく書いていきたい。

アイドル部が終わった

アイドル部が終わった。アイドル部と言うと複数あるが、ここで言うのは株式会社アップランドのVtuberプロダクション「.LIVE」内ユニットのアイドル部だ。公式では4月末日をもって、と書いてあるが、実質的には昨日4月29日が終了日だったと思う。2018年4月27日にYoutubeチャンネルを開設してから、ちょうど3周年の節目だ。

私のTwitterを見ていた人なら知っていると思うけれども、私は18年8月からの熱心なアイドル部箱推しファンだった。このサイトにも覚え書きがてらに用語集を書いて載せたことがある(記事整理の際に消去済み)。

過去形なのは、19年8月ごろまでには箱推しではなくなっていたっぽいからだ。これは19年1月くらいから半年以上かけてフェードアウトした感じだったので、特に明確な理由はなく、無自覚で、気づいた時には見る頻度が激減していた。こう書くと箱自体にめちゃくちゃハマっていた時期というのは1年足らずなのだけど、その間の入れ込みっぷりはかなりヤバかった。時間の使いすぎで人生を壊しかねないレベルだった(それとは関係なく既に壊れてたけど)。

今の自分は間違いなくアイドル部あってのものだし、良くも悪くも思い出はたくさんある。今後折に触れ思い出語りをして、色々と振り返っていこうかと思う。まあ、思い出した時に断片的に書くというくらいの意味なので、もしかしたら書かないかもしれない。

その前に、アイドル部が終わったとタイトルには書いたが、メンバー全員が辞めるとかいうわけではない。公式の言い方としては、全員がアイドル部を卒業し、その中で5人は.LIVEからも卒業する、他の5人は.LIVEに所属し活動継続する、という感じだ(ユニットならともかく、事務所を辞める場合普通は脱退とか退所とか言うと思うけど)。つまりは、アイドル部という枠組みが消え、その上で事務所を出るか出ないか(出る=Vtuberを辞める)ということになる。

.LIVEは現在アイドル部以外に6人くらい所属しているので、今後は総勢11人くらいになる(くらいと書くのには理由がある)。アイドル部の半分が卒業する、5人減る、と書くとかなり事業縮小する印象だが、.LIVE全体では先日3人増えたばかりだし、アイドル部のデビュー当時は.LIVEは総勢14人だったので、見かけ上の総人数だけ見るとそこまで縮小するというわけではない。また、卒業する5人のうち2人は実質的に1年以上前から引退状態、1人もほぼ休止状態だったため、普通に活動するメンバーだけ見れば、3人増えて2人減ったようなものかもしれない。

アイドル部自体もオリジナルメンバーが5人も残るなら、本質的には終わっていないと言えなくもない。ユニット名を残すこと自体は可能だろう。なんなら一人もオリジナルメンバーが残ってなかったりソロプロジェクトと化したまま続くバンドもそこそこある。とはいえ、やはり個人的な心情的にはこの5人だけではアイドル部とは言えないし、運営もあえて名乗り続ける必要はないと考えたから、アイドル部という名前はなくなるのだろう。

ちなみに厳密に言うと、公式では1期生が卒業すると言い方であり、過去に2期生を募集したことがある。つまり、メンバー不在のままアイドル部というユニットの枠組みだけは残し、後々2期生のみで新生アイドル部としてデビューする……という可能性はある。そんなことをする意味があるかは知らないけど。

そもそも私はアイドル部という名を廃し.LIVEに統合するべきだと19年末からずっと思っていた。19年末にはメンバー2人が抜ける騒動があったが、この時点で既にアイドル部という看板はイメージがかなり悪化しており、人よけの効果を強く発揮していた。また、アイドル部ならではのコンテンツも薄く、その括りや設定がウリになる場面もほぼなかったため、新規登録者を得るという面では看板のデメリットのみが目立っていた。

.LIVEというプロダクションの括りで支障がない以上、イメージの悪いユニットの看板を掲げ続けてもしかたがない。憶測だが、今回のアイドル部終了の裏にはそういう判断もあったかと思う。心機一転5人で続けていこうという時に、アイドル部という看板は枷ですらある。

私はアイドル部が終わったのは良いニュースだと思っている。卒業するメンバーはもちろん全く新しい未来に羽ばたいていくわけだし、残るメンバーにとっても環境の変化は大きい。少なくとも、過去の重りはいくらか外せたと言えるし、人数が減ったことでむしろできるようになる・やりやすくなる事もあるかもしれない。全体イベントとか。

私が今でも関心を持っていたメンバーは、今回で全員卒業した。寂しいという気持ちがないわけではないが、正直なところ、それよりも新たな旅立ちを祝福する気持ちがはるかに大きいし、安心したところもある。そしてそちらの方がはるかに大きいというのは、かつて全力で箱推ししていた身としては、ある意味では悲しいことでもあるかもしれない。しかし一方でまた、推していたからこそ、別の道でも彼女たちが輝く未来を信じられる面もあるだろう。

物事、とくに人の気持ちはシンプルではない。色々と複雑な気持ちで、まとまりがないけれども、結局のところ、全員の今後の成長・活躍とさらなる幸せを願うということに尽きる。強く生きろよ!

コロナやばい(陽性率の話とか)

今更すぎるが、コロナがやばい。まあ、やってる感だけ出してその場をごまかすことに集中しているのだから当たり前ではある。コロナ前は夏季五輪の熱中症が危惧されていたが、その対策で打ち水を打ち出したような行動原理が、そのままコロナ対策にも表れている。何が理由かは様々あろうと思うのだけど、とにかく根本的な対策は全てではないにしろ好みではない、やりたくないのである。そこの穴をしょうもない対策や精神論でごまかし続け、ついでに火事場泥棒的にイデオロギーを混ぜ込み、それで当人たちは真面目に今やれる事をやれる限りやっているつもりでいる。タチが悪い。

東京五輪のために国民を犠牲にしているんだ、みたいな論調も聞くが、本質的には東京五輪すらどうでもよさげな気がする。五輪に熱い思いがあるわけでも、五輪で利益を貪ろうとするわけでもなく、もはや単に対処の優先順位が高いだけの面倒事と化している。プラスコンコルド効果か。まあ、コロナよりは優先されていることには違いない。

私は都民なので都の状況が身近だし、首都なのだから最も蔓延が酷くて当然だと思うのだけど、最近は大阪とかの方が発表される感染者数は目立っている。陽性率を見ると、大阪は東京よりも検査数が不足していると思われるので、見かけよりも大阪はやばい。

しかし東京も負けてはいない。大阪の陽性率はここ数日8%弱くらいだが、東京の陽性率は数日前6%弱だったのが27日時点で6.4%と伸びている。感染状況に対しての検査数の拡充が追いついていない。検査数を増やすスピードが遅いのか、感染拡大が早いのか、両方なのか、いずれにしても感染が拡大し体制も逼迫していっているという傾向には違いない。

私はもっぱらネットばかりでテレビを見ていないし、ほとんど人と話さないので不安や緊張感を共有しておらず(なんだかんだで感情の共有は文字だけでは難しい)、世間一般の人はどんな気分なのかとかどんな風潮なのかがよくわからないところもある。この状況はどう受け取られているんだろうか。

誰とも話さず屋外で空や植物を眺めてぼんやりしていると、2年前とさほど変わらない現実の世界がある。爆撃などと違って目に見えない脅威というのは、対応する現場にいなければなかなか実感しづらいが、状況は一応モニタリングの数字である程度考察することができる。

モニタリングの数字というのは感染状況を直接表すと言うよりは、感染状況に対する体制の状況、社会がどのように対応しているかを表している。私は陽性率をよく見る。例えば陽性率が変わらずに感染者数だけが増えれば、感染が拡大し、それに対応して検査数を増やせているとなる。陽性率が上がり感染者数も増えれば、感染拡大に検査数増加ペースが対応できていないと言える。実際に都のモニタリング会議でもそういう解釈のための指標として扱われている(話はずれるが、モニタリング会議等での専門家・当事者の提言を都知事は当然直接把握しているのだが、それをリアルタイムで活かしているとは到底思えない)。

東京都は検査を絞って感染者数を少なく見せている、と言う論調の意見はよく聞くが、検査対象が選択的である限り、検査数を不適正に絞れば陽性率が上がる。例えば検査数9000件で感染者数600人とかの状況下で検査数を200件とかに減らせば、陽性率は100%に近くなるだろう(実際には50%以上くらいになると思う)。まあこれはただの例えで完全に適当な計算だけども、基本はコロナっぽい人を優先的に検査するのだから、そうした傾向になるはずだ(逆に言えば、そうした選択的な検査が成されていなければ、陽性率は指標としてアテにならない)。少なくとも陽性率を見る限り、東京都は他自治体と比べて不適正だと言えるほど検査数は絞っていないと思われる。

上の方で書いたように、陽性率を見るだけでも東京の状況悪化はよくわかる。社会として、現在の状況の悪化に対応できていないのだ。こうした指標から、もっと検査数を増やす必要があるとか、病床を増やす必要があるとか、現在の対応について検討し実施していくのが、コロナに対する社会的な対症療法になる。

しかし、これはあくまで対症療法に過ぎない。緊急事態宣言でさえ同様だ。なので、例えばワクチン接種とか特効薬の開発とかが原因療法と言えるだろうし、海外の変異株等については、渡航や来航の禁止も原因療法に入ると思う。コロナ蔓延初期であれば、緊急事態宣言等の社会活動停止や検査数の確保とそれに伴う隔離等も原因療法たり得たと思うけれども、経済との両立や検査懐疑論等が叫ばれた結果か、残念ながら十分には行われなかった。そうした流れの帰結が現状だ。

あの時経済上の損益判断がきちんと行われ、自粛に伴う補償が十分に行われ、検査数の拡大、陽性者の隔離……と、誰でも思いつく基本的な対策でもやれることをやっておけば、島国日本は今ほどダメージを受けなかった可能性も高いし、海外客は無理にしろ五輪を無事に行える可能性もあったかもしれない。しかし今それを考えても後の祭りである。

自粛や緊急事態宣言にしろ、欲しがりません勝つまではを国民に求めるのも、まあ戦時中ならありかもしれない。戦わない国民から搾り取るだけ搾り取っても、戦う軍隊には関係ない(そこまでしないといけない時点で敗戦国なのだけど)。しかしコロナ禍において、戦わない国民は存在しない。戦うのであれば兵站が十分になければ話にならないのはインパール作戦を引き合いに出すまでもなく当たり前のことだけれども、はたして現在、自粛や休業という戦闘を展開する軍隊への兵站は滞っていないと言えるのか。

まあ、そんなことを考えるのは私の仕事ではないし、私よりも真剣に考えている人が山ほどいるので、私にできるのは邪魔をしないようにして個人的に対策することくらいしかない。

私はエッセンシャルワーカーの補助みたいな職(括りによっては自分もエッセンシャルワーカーかもしれない)で、システムも在宅勤務への最適化には程遠いため、完全には出勤を抑制できない。その上情勢が悪化し毎日在宅を求められるようになると、在宅シフトの関係上、週二・三回の終日在宅だったのが週一終日・週四半日在宅に置き換わり、むしろ出勤回数が増えてしまった。本末転倒である。ついでに言えば、半日在宅だと移動時間が業務時間中に発生するので、実質的に業務時間が減っていく。コロナ対策アピールのための「毎日在宅」というパフォーマンスによって、辻褄合わせが発生して対策としてはむしろ後退するのだから滑稽な話だ。こうした構造は行政でも至るところにあるのだろうと思う。

まあ、その上でできることと言えば、マスクと消毒の徹底、会食の禁止、その他外出の抑制くらいのものである。マスクも消毒も苦ではないし、もともと会食どころか仕事以外で人と会話する機会もほとんどないので、その点は全く問題なく一年を過ごしたのだけど、外出の抑制はあまりできていない。外を歩かないと気が晴れないし、なんなら外食屋を食い支えるのだとばかりに外食ばかりしている。……一人で黙々と歩き食べているだけなので、許して欲しい。

早いとこ実家に帰ったり、恩師や恩人に就職の報告をしに行ったり、気ままに旅行したりしたいのだけど、都民の身では全くいつそれができるようになるのか見当もつかない。祖父母などは存命のうちに再会できるだろうか。ただでさえ高齢で、おまけにコロナは高齢者ほどやばいので、祖父母どころか両親すら危うい。実家の自治体ではそれほど蔓延していないのが救いではある。一方私も全く安心できる年齢ではないし、変異株も増えてますますリスクは上がっている。

そんなことを思いながら、宣言下のゴールデンウィークを迎えたところである。例年ならイベントにコミティアに旅行にと遊び呆けるところだけども、今年はコロナ情勢を抜きにしてもひたすら疲れているので、ダラダラ寝て休んで、無為に過ごすことになりそうな気がする。無為に過ごしたと感じてしまうとそれはそれで気持ちが休まらず、休みが無意味になってしまうのだけど。

とりあえず、美味しいご飯を食べたい。