かがみの孤城、3月30日に閉城の日フィナーレイベント!?さらにこの回だけの追加特典?勘弁してくれ!!!!
そう思いながら仕事を途中で切り上げて、丸の内ピカデリーでのイベント上映を観に行った。
悪い映画ではないんだけど、6回はさすがにきついって。世の中には好きな映画と見るや10回も20回も同じ映画を見に行く人がいるらしいけれど(つーか今日も20何回見たと言う人が複数いた)、このくらいでへばっている自分には、とてもそんなことは……。

と思っていたのだけど、6回目にもなるとだいぶ省エネな見方をマスターしたのか、単に仕事の後で疲れて集中力を失ったのか、なんにしても思っていたほどは疲れなかった。これならまあ時間さえあれば20何回……はやっぱりちょっと……。
今日登壇するのが安西こころ役の當真あみだからというわけではないけれど、おそらくは主人公の安西こころにひたすら注目する見方をしたのが良かったんだと思う。何回も見ててこころのかわいさがこの映画のキーだというのがわかったので、かわいいを補充させてもらった。頬をプニプニしたい。當真あみの声もかわいい。

今日のイベントについては、スマホやめてねと明言されたのでメモが取れずレポートみたいなのは諦めた。メディアの取材や撮影が入っていたので、公式で上がるだろうから、その必要も無いだろう。ただ感想を少しだけ。

司会が笠井信輔なのにまず驚いた。自分のような田舎者にとっては笠井信輔もテレビの中の人という印象で、それこそ昔は不登校だったので、朝の8時からのワイドショー(とくダネ)は割とよく見ていたのだ(親がズームインSUPERを見たあとテレビつけっぱで仕事に行くので)(大分県では日テレとフジがごちゃまぜに放送されるのでズームインSUPERの後にとくダネをやっていた)。もはや不登校時代を平日ほぼ毎朝共に過ごしたと言っても過言ではない。いややっぱ過言かも……。
そういうわけなので初めて生の笠井信輔を見たのはなんだか変な気分だった。せっかくの安西こころ役當真あみ登壇なのだけど、當真あみは最近の人でかがみの孤城でしか知らないので、笠井信輔のインパクトで印象が多少薄れてしまったかもしれない。

そういえば笠井信輔が「今日はかがみの孤城が閉じた日」と言っていて、30日は閉じる予定の日で、劇中ではその前日の29日に閉じたのでは……?と思ったのだけど、6回も見ておいて曖昧である。いや、たしかこころのカレンダーでは30日にお別れ会のメモがあって、閉じた日(アキがルール破りをした日)はお別れ会の準備をした日(つまりまだ30日ではない)だったと思うのだけど……。そんな感じなので、仮に笠井信輔が間違えていたとしても、こちらも似たようなもんなのである。

當真あみについては本当に申し訳ないのだけど全く、かがみの孤城でしか知らないので、完全に安西こころ役の人としてしか見れなかった。でもそれでいいのかもしれない。
安西こころ役ということで声に注目したのだけど、思ったよりもこころそのままというわけではなかった。やっぱり劇中では声色も含めて演技していたんだろう。ちゃんと「プロの声優」じゃないか。(イベント中に「プロの声優」というワードでトークがあったので)
壇上での佇まいがしっかりしているので成人しているのかと思いきや、トークで学校に行くとか何とか言っていて驚いた。やっぱり人前に立つお仕事をしてると高校生でも貫禄が出てくるものか。ぼくにはとてもできない。

原監督はいつも通りというか、やはり結構グイグイ話したいタイプの人なんだな。これまでのティーチインでもよくわかった。
當真あみ宛てに賞状を読み上げて渡して當真あみか涙ぐんだ(と思われる)シーンでは、「泣かせちゃった」と喜んでみせた(というかはしゃいでた)あたり、茶目っ気のある人だという印象を持った。
今日の作品トークは特にこれまでのティーチインと比べて目新しい情報はなかったと思う。

あと、Twitterでやっていた好きなシーン&セリフのベスト3が発表されたのだけど、1位が「善処する」だったのは驚いたし、あそこがめちゃくちゃ泣き所だったらしいと聞き、やべっ一度もあそこでウルっときたことねえ、と焦ってしまった。映画の見方が変なのかもしれない。
2位の「だってこころちゃんは毎日闘っているでしょう」は個人的にもかなり泣き所だったし、當真あみも個人的1位という風なことを言っていてちょっと嬉しかった。
関係ないけど、不登校児はああいうことを言われると、「認めてくれて嬉しい・安心」という気持ちと、「言うほど闘ってはないけど……」という後ろめたさが同時にわいてくると思う。「うんうんそうそう闘ってるんだよ!」とは、なかなか自信満々には思えないところがある。

6回目観てみて映画自体の感想はというと、もう出涸らしなので毎回感想を書く必要もない気がするけれど、やっぱりずいぶん変な映画だなと思う。シュールと言ってもいい。
音楽が変なところがしばしばあるというのは何回も言っているけれど、絵でも話でもちょっと変なところがそこかしこにあり、独特のリズムを生んでいる。(原作由来のところもあるのだろうとは思う)
たとえば最後にこころがアキに手を伸ばして引っ張りあげている時、こころの後ろからぞろぞろと食われたはずの仲間たちがアキ!アキちゃん!と言いながら現れる絵面は、落ち着いて見るとなかなかにシュールだ(アキがいるんだから他の仲間たちもいていいのだけど)。
セリフ面で言うと、こころが現実世界で皆に会えず全部ウソなんじゃないかと不安になっている時、リオンがかける第一声が「オレ、いるよ」だったと思うのだけど、その後に続く「ウソじゃないよ」が第一声のほうが話の流れとして飲み込みやすいと思う。ここをあえて「オレ、いるよ」にしていることで独特のひっかかりを生んでいる……気がする。実際自分は初見時は「リオンは急に何を言い出したんだ?」と首をひねった。
あと何回も見ていると、パラレルワールドのくだりが即却下される割には丁寧に説明しすぎで神妙な曲に乗せてやけに尺を取っているので、これも結構感情の置き場がない変な時間になっている。
そんな感じでちょっとシュールなところ(意図的なひねりかもしれない)がそこかしこにあり、ハッタリでごまかされたり普通に引っかかりになったりして、妙なグルーヴ感を形成している。

そういえば、何回見ても願いの部屋の謎解きの意味がわからない。これは理解力がないだけかもしれないのだけど、なぜ時計だとわかったんだろう。7匹の子ヤギの絵に時計に隠れる子ヤギが描いてあるのかと思っていたのだけど、6回目にしてよく見たら、7匹目はそもそも描かれていなかった。

この前も書いたし上の方でも書いているのだけど、こころがかわいい。それはすごくいい事だと思うのだけど、同時にルッキズム的な問題をはらんでいないかとも思う。こころの外見がかわいくなければこの話は成り立たないのか、というとそういうわけではない。一方でアニメ的に非美男子として描かれている嬉野は決して良い扱いではない。孤城の仲間たちの中ではかなり浮いている。原作でどうなのかはわからないけれど、役割と外見が不必要にリンクしていないか。でもリンクしてた方が見ててわかりやすいというのも確か。労働問題のからむ実写ならともかくアニメならそこまで目くじら立てる問題でもない……のか?
またそれに関連して、これは自分の醜いところ、腫れ物に触れるようなものではあるのだけど、かわいいと思うということは、ある程度性的に見ているということにやはりどうしてもつながってくる。自分が散々こころかわいいと言っているのは、小動物やサンリオキャラクターや乳幼児に対して言うかわいいとは別物なのである。
そうなると性的消費という言葉が頭をよぎる。必ずしもそれが悪だとは言わないが、あえてこういう言い方をするとどうなるだろう。かがみの孤城、安西こころを、ルッキズムと性的消費の文脈で消費する。作品のテーマを含めて(それこそアキのエピソードを含めて)考えると、それでいいのか?という疑問がどうしても心に湧いて出てくるのだ。
まあこれは批判的に考える視点を自分の中に持っているという話ではある。それが良い時もあるしノイズになる時もある。素直な気持ちとしては、こころかわいい。見た目も性格も声も全部かわいい。そういう気持ち。驚いてる顔が一番かわいいと思う。

あと、優里の主題歌がいい。初見時から思っていたのだけど多分書いていなかった。映画の雰囲気によく合っていて良い余韻を残してくれる。歌詞はあんまり関係ないけど。
城をのぞき込むミオのイラストが消える時に鏡の割れる音が鳴るのは(特に意味はないけど)同期感があってエモい。鏡の割れる音はかがみの孤城に合わせて入れてあるのだろうか。クレジットにミオのカットを差し込むと決めた時に原作者と優里に話を通したらしいので、歌と映画でもう少し深い関わりがあるのかもしれない。
(なんかどうやら映画のための書き下ろしだったらしい。その割には歌詞ラブソングに傾きすぎじゃね!?)