スタジオジブリ宮崎駿最新作、君たちはどう生きるか、初日観てきました。新宿バルト9、ドルビーシネマ。ネタバレ感想を書きます。
ここまで情報を公開しない作品は限りなく情報ナシの状態で見に行くのが自分なりの作法いや礼儀だろうと考え、マジで情報を避けまくりました。公開が近づくにつれメインビジュアルの鳥と題字を使った大喜利が流行ったけれど、それすら見なかった。いざ見た時に「これ大喜利で見たやつだ!」ってなるのが嫌だったので。

というわけで、いつもならまずネタバレなし感想をひとしきり書いてクッションにしてからネタバレあり感想を書くのだけど、今作に限っては何言ってもネタバレになるだろうと思うので、初っ端からネタバレ全開ということで。
(追記:7月18日に2回目を観てきたので、初見時の事実誤認っぽいところを追記で訂正しておきます)

率直な感想。面白かったけど全然よくわかんなかった……。宮崎駿作品はわりと見ていると思うのだけど一番難解じゃないか?今回……。
なんでそうなるのか、何が起こっているのか、が見ている分にはかなり曖昧だったり謎だったりするままに進行していくので、理解が追い付かない。そのよくわからない部分はおそらくしっかり文脈を踏まえて読み解かないといけないハイコンテクストなものなので、一見して理解できるという人間はいないんじゃなかろうかと思う。
単に意味不明で不条理というのではなく理屈がしっかり練られて物語や演出に反映されている難しい作品だと思う。

それでいて面白さはしっかりあるのが面白いところ。よくわからないのに面白いというのは直近だとエブエブでも感じたものではあるけれど、エブエブよりこちらの方が数段難しいので、やはり内容が十分に理解できるかどうかと別のところにも面白さというものを感じられるんだなあと思う。
それはたぶんストーリーの基本的な流れとかスペクタクル、演出や映像が生み出すノリやグルーヴといったものに依るんだろう。
特に冒頭火事のシーンからアオサギが正体を現す(くちばしを貫かれる)までのシーンは、これから何が起こるのかというワクワクが強かった。
その後の石の塔の中の異世界の冒険も楽しかったのだけど、世界観としてはややこじんまりした印象になった。過去の宮崎駿作品の中でスケール感を大きく感じられた作品にはだいたい象徴的な建造物があったのだけど、今作はそれほど象徴的なものはない。石の塔はそんなに印象的に映されないし、異世界全体がどういう空間なのかよくわからないまま進む。
今作では音楽も特に印象的な(メロディアスな)ところはなかったように思う。石の外でも中でも比較的淡々としたトーンが作品全体を通して存在する気がする。
鳥連中は観ていてけっこう楽しいし、かわい……くはないけどいい意味でうざい。観ている最中何度も「この鳥どもがよお……」という気持ちにさせられたけれど、悪いものではなかった。突撃してくるペリカンはバカ丸出しだし(老ペリカンの話を聞くにどうも世代を経てどんどんバカになっている可能性がある)、インコはもう顔や話し方からしてバカなのに刃物を持って殺そうとしてくるミスマッチさがおかしかった。インコを殴りつけるシーンなんかは爽快だった。

難解とは言っても、ストーリーのちょっとしたひっかけ要素(若いキクコとかヒミ)は割とわかりやすいというかかなり塩梅がうまくて、しっかり明示はされないけど見ていればうっすらわかるような秘密を、自然と主人公の眞人が気付いている。でも気づいた瞬間をはっきりは描かず、少ししてから既に察しているものとして口に出す。
眞人と観客の認識レベルを冒頭からずっと意識的に一致させているからできる芸当だと思う。
まあ、これはあくまで上記の二点くらいで、だから眞人がたまに独自の視点を発揮する(要するに難解な)シーンはちょっと置いてかれた気持ちになってしまうのだけど。例えば石の積み木を提示されて「これは石です。悪意があります」というシーンなんかそう。眞人くん、急に置いてかないで……。めちゃくちゃ察しの良い童話の主人公に頭の良さで負けてしまった時のような敗北感を感じる。
(2回目追記:ヒミはちょっとしたひっかけどころか2回目の登場で夏子は妹と明言してるのでひっかけでもなんでもないなと思った)

かろうじてわかる部分だけストーリー等について語ると、まず一つの主軸は母を求める眞人のストーリーだと思う。母を求めて三千里……ではないけれども。
冒頭火事で母久子を亡くした眞人が、父の後妻夏子を新たな母として受け入れきれないまま、母(これが久子か夏子かはともかく)を探しに行くストーリーだと言える。実際旅の主目的は夏子を探すことではあるのだけど、アオサギのそそのかしもあり、心の端では久子を探してもいるのだと思う。そして眞人は道中あくまで夏子のことを「父が好きな人」と呼んで自分とは本来無関係な人間なのだという認識を示すものの、冒険の末に産屋にたどり着き、そこで夏子を新たな母と認める。
ついでにその道中で出会ったヒミが若き頃の久子であることにも気づく。つまりアオサギのそそのかしも別に完全に嘘ではなかった(たぶんそうだよね?噓つきの問答や自分は嘘をついたことがないみたいな発言もここにかかってきているのかもしれない)。
(2回目追記:アオサギは嘘をついたことがないとまでは言ってなかった。俺は嘘つかない(だから今回は信じろ)といったニュアンスで、過去に遡ってまで言及したものではない)
眞人は久子の死に「助けられなかった」という罪悪感も感じており、アオサギにも最初からけっこう煽られるのだけど、ヒミとの会話で「死ぬ運命とわかっていても眞人を生む未来を選ぶ」ということがわかって罪悪感から解放される。
冒険の果てに二人の母と出会って、それぞれについての心のしこりを解消し、現在の家族を受け入れるという話になっていると思う。
一番わかりやすいのがこの話のラインだと思うのだけど、それにしても産屋での夏子とのシーンにおける演出はめちゃくちゃよくわからないし、夏子がなぜ「お前なんか大嫌い」みたいな強い拒絶を示したのかもよくわからない。拒絶は実際のところある種の親心かあるいは眞人の心の鏡なのか。ここで夏子を母として受け入れたのもよくわからない。ついでに石の中で禁忌として重要なポジションになっている産屋の設定もよくわからない。ああよくわからない。
産屋が禁忌になっているのはワラワラの設定にも関連しており、やはりこの異世界自体がある程度母と子供の関係に集約されるんだろうとは思う。どう集約されるのかはさっぱりわからんけど。

タイトルにもなっている「君たちはどう生きるか」は久子からの贈り物として登場するわけだけども、母との接点を示すアイテムなのか、小説の内容がストーリーに多少なりとも反映されているのかは読んだことがないのでわからない。
母との接点を示すアイテムとしては妙にサラッと流されたような気がするし、何かそれ以上の意味があるような気がする。
仮になくとも、例えばその後の眞人の言動行動に小説の影響が見られるとかがあるのかもしれない。

石の中の世界についてはもう何もかもよくわからない。大叔父についてもよくわからない。
ストーリーのもう一つの主軸として途中急に出てくるのが、眞人が大叔父の仕事を継ぐか継がないかという話なのだけど、まず仕事内容がよくわからない。積み木がなんだって?積み木で世界を維持している?新しい積み木で塔を作れ?おそらくは大叔父が作ってぐらぐらしていたアレは現存の石の塔のことなんだろうと思うけれど。そもそもこの世界はなに?大叔父のセリフ、情報量が多いわりにセリフ量が少ないので、理解し逃すと全然わからなくなる。
そういうことが飲み込めていないまま見ているので、眞人の「悪意があります」もそうなのだけど、全然意味が分からない。後を継がないことを決めるのも、まあそれは決断としてわかるのだけど、その決断が示すものがわからない。
生まれる前の存在であるワラワラたちの存在や産屋の存在、この世界の住人は殺生ができないという設定から、この世界が生と死についての何らかのメタファーであるというのはなんとなくわかるのだけど、それくらいだ。
石との約束でこの世界を作り保っているというのであれば、ワラワラたちの存在は何なのだろうという気がする。要するに元々の生と死の理の中に組み込まれた世界ではなくて、後から作った世界ということならば、この世界で生命の元が発生するのはおかしくないだろうか。そのあたりもこう、自分の理解が追い付いていないということだろう。
その他、ヒミやキリコはなぜあそこまで石の中の世界に順応しているのか(ヒミに至っては火を使う特殊能力や現実世界への扉を読み解く力まで得ている)。鍛冶屋はどこに行ったのか。「我を学ぶものは死す」の墓におさまっているのは何なのか。そもそもアオサギはなんなのか(インコは現実世界で小さな姿に戻るのにアオサギはそのまま)。などなど、全然わからない。助けてくれ!でも面白いんだよなあ、不思議と。

全体的に展開や描写の数々がコンテクスト優先で組み立てられているように思えて、一見すると非常に唐突だったり脈絡がなかったりして整合性や連続性がないように見えるのだけど(もちろん実際はそうではないのだろう)、それでいて映像作品としてのノリやグルーヴみたいなものは作品を通して連続したものがあり、観客を運搬してくれていると感じる。とっちらかっているように見えてそれぞれ通底するテーマでまとまっていて、不条理なように見えて極めて理屈で筋道立てられているというふうな印象を受ける。
大筋で観るとエンタメ作品として変なストーリーをやっているわけではなくて、母を求める少年が異世界で冒険をして、途中で色んな人や障害に出会いつつ成長し、異世界の真実を知り、自分の人生を選択するという、かなり乗りやすいストーリーではある。その展開の中で不自然な転換が起こることは全然なかったと思う。あくまで細部が難解なだけで、大筋としてはそんな感じだから、素直にエンタメ作品として連続性をもって楽しめたのかもしれない。

あとは観ていて、牧一家が豪華な洋風の屋敷に引っ越し、そのまま戦争の惨禍を被ることなく終戦を迎えるというのはなにか示唆的なものがあるなと思った。
転校先の学校に車で乗り付けるというところからもわかるように、牧一家はこの時代ある種の特権階級に位置するので、この特権階級と戦争の関係がストーリーの背景に及ぼしてる影響というものがなにかあるのだろうと思う。
全く関係ないのだけど、池のある洋風の屋敷というだけで思い出のマーニーを思い出してしまった。

終わり方はすごいあっさりというかぶつ切り感というか、見てた人全員「え?これで終わり?」と思ったと思う。普通ならもうワンクッションくらい入れる気がする。
この異様なあっさり感もなんか意味があるのだろうか……。
そこから流れる米津玄師の地球儀、まあとてもいい歌なんだけれど、過去のジブリ映画はもっと歌がハマってたものが多かったように思う。なんか急に普通のアニメ映画になったな!?とびっくりした。米津玄師、シン・ウルトラマンではめちゃくちゃハマってたんだけど(主題歌で作品の瑕疵全部ごまかせるほどに)。シンウルの時は歌詞の作品解釈度がめちゃくちゃ高かったので、今作でも地球儀の歌詞を読むと作品理解度が高まったりするのだろうか。

まとまらないのだけどいったんこんな感じで初見感想は終わりにしようと思う。要するによくわからんかった。
何度も見て色んな人の感想を聞いて理解を深めたい映画だ。
けっこう、自分にとっては昔から宮崎駿の映画はよくわかんないことも多かったりして、だけどそんなに掘り下げることもなく通り過ぎて行ったのだけど、今作は他作品よりも掘り下げるのが楽しそうな気がする。