最近SNSで見かける絵にAIイラストのものが多くなってきた。最近のAIイラストは巧妙で、技術の向上もあれば、手で加筆して補正することも珍しくない。一見してAIと手描きを見分けることはもはや難しい。
さらにその多くはタグとかがついておらず、プロフィールまで飛んでようやく申し訳程度にAIと書いてあるだけのものだったりして、AIイラストだと気づかずに拡散してしまう人なんかもいる。
自分もふと見かけた絵が「〇〇さんの絵っぽいけど、〇〇さんフォロワーなのかな、〇〇さんの絵ステキだもんな」と思ったら、AIに〇〇さんの絵を食わせて学習させたらしきものだったことがある。

で、色々と論争もあるらしい。
でもその辺に突っ込むと色々とめんどくさそう。首を突っ込むには知らなければならない情報があまりに多そうで、しかもそれらにいちいち誰かにとって都合のいいバイアスがかかっていそうだ。
ネット上の揉め事ではそういうことがしばしばあり、当初から経緯を追っているならともかく、途中から首を突っ込もうとするとあまりに嘘や誇張に溢れている事がある。そして往々にして嘘の方が定説としてまかり通るから恐ろしい。なぜかと言うと嘘は誰かがある目的のために作るものであり、それは誰かにとって魅力的である必要があるからだ。無作為な事実は時に誰にとっても面白くないことがある。作為的な嘘と無作為な事実のどちらを選ぶかで、嘘を嘘と見抜けない場合において、快感のために迷いなく前者を選ぶ人は多いはずだ。
まあそういうことなので論争については置いておく。

AI技術の価値がどうかという点においてもまた、自分なりの意見は持っていない。
イラストに限らず生成AI一般についてだけれど、誰の権利も侵害しないならともかく、学習という一点においてだけでもそれは微妙そうだというのがたまにニュースを見ると感じられる。そうなると評価はやや微妙になってくる。
今自分がしている仕事なんかは自分よりAIに任せた方が上手くいくだろうと思う。そのためには自分が知り得る職場の情報を全て食わせないといけないが、それは機密とかコンプライアンス上の問題が生じると思うので悩ましい。
そういうわけで、便利らしいけど便利じゃないらしい、くらいのふんわりしたプラマイゼロみたいな印象に留まっている。

そこで本題なのだけど、AI技術自体の論争や価値というトピックから距離を置いて、極めて個人的な問題に入りたい。つまり、AIイラストを自分はどう受け取るのか、ということだ。
例えば世の中にはAIイラストを存在自体認めないという人もいるし、一方ではFANZAでAIイラストCG集を買ってシコッている人もいるわけだ。私自身はどうなのか?

結論から言えば、自分はAIイラストには価値を感じない、ということになる。その理由は簡単で、自分は作品の評価において「何が表現されているか」より「誰が作ったか」を重要視するからである。なので、どんなにいいイラストでもAIイラストだとわかった途端になんの魅力も感じなくなるし、どんなラクガキ絵でも巨匠が描いたものならありがたがる。
作品が完全に作家から切り離されて作品単体として評価されることは滅多にない。いや、全くないと言っても過言ではないかもしれない。なぜならその表現には必ず作家の意図が含まれるからだ。そこから作家の来歴や人格、政治的主張などが見て取れることも多い。

翻ってAIイラストにおける作家とは誰を指すのだろう。私にはその主体を見出すことができない。AIに呪文を唱える人か、AIそのものか、AIの学習元になった全ての人か。どれも違う気がするのである。呪文を唱える人は良く言ってもただのクライアントだし、強いて言えばAIそのものが一番近いと思うが、そこに作家の意図はない。意図を持った表現は学習元にしか存在しないが、学習元になった作家たちがAIイラストを描いた訳ではなく、表現の意図は個別の作品から離れた時点で消失していると考えていいだろう。

まあそういう思考遊びは置いておいて、「何が表現されているか」より「誰が作ったか」を重要視する、と言うとなんだか権威主義じみて格好が悪いと思う人もいるかもしれない。しかし例えば自分の子供が描いたイラストはとても価値あるものになるだろう。子供どころか配偶者もいないけど……。あるいはどこの馬の骨かもわからぬ人物が描いたものには、それはそれでミステリアスな味があったりもする。逆に人間性が嫌味ったらしいような人が描いたものは、なんだか見ていても少し自分の心が作品から離れているのを感じる。
なんとなくそういう事だと思ってほしい。
そしてAIイラストには作家を見つけられない時点で、それらの評価の土俵にすら上がらない、自分にとって価値ゼロということになる。ゼロに何をかけてもゼロなのと同じように、AIイラストにどんな付加価値がつけられても、例えば有名アーティストが加筆を行っていても、価値は感じない。(というか有名アーティストは描けるんだからイチから描けよと思うのだけど、なぜかやってる人がそこそこいる。それをやり出すとその人の作品全てがAIイラストに見えてくるので、その人自体の評価もゼロに近くなってしまう)

しかしいくら自分にとって作品として価値がないとしてもAIイラストは現に存在するわけで、諸々の問題を全て度外視すれば便利なツールではある。
AIイラストというのが何なのか、社会的にどのような存在なのかについて、その価値判断とは距離を置いたところで、自分なりの考え、とらえ方を持っておくのは有意義かもしれない。

そこで思いついたのが、AIイラストの立ち位置は「贋作」に近いのではないか、ということだ。(模写と言ってもいいが、AIイラストと明示せずに公表する場合が多いので、いったん贋作とする)
贋作(AIイラスト)自体には創作性や意図のある表現は存在せず、それらは本物(学習元)にのみ存在する、という点において、両者は非常によく似ていないだろうか。
コピーが容易なデジタルイラストにおいて贋作という概念はもはや意味を成さなくなっていたが、AIイラストはある意味では現代のデジタル贋作と言えるのかもしれない。
贋作について考えると、贋作でも(それと知らずに)素晴らしいと感じる人は大勢いるわけで、だから本物の価値がないなんて事はないし、贋作はどこまで行っても贋作で、贋作(模写)には贋作(模写)なりの立ち位置がある。
同じように、AIイラストの存在が手描きのイラストの価値をなくすこともなければ、AIイラストにはAIイラストなりの立ち位置があると考えられる。

(以後はAIイラストと明示されていることを前提とするので、模写に置き換える)
では、AIイラストの立ち位置とはなんだろうか。よく言われるのは「創作の補助」だと思われる。
この場合、いらすとや等のフリー素材とAIイラストを比べてみて、それぞれ使う場合で表現的にどのような差異が生まれるかと商業・倫理的にどのような違いがあるかを考えてみよう。
ちょうど最近「戦犯ちゃん」という、AIイラストにキャラ設定を加えたものがバズっていたけれど、あれがいらすとやだったならどうだっただろうか。
フリー素材で表現できないものはたしかにAIイラストにはあるけれど、それをいざ使うとなるとやはり諸々の問題に当たらざるを得ないだろう。
また、創作の補助を拡大解釈すれば、AIイラストに加筆する行為も、AIイラストを基礎とした創作と言えないこともないが、実際のところこれは創作と言えるだろうか。その場合も諸々の問題に当たるのではないか。上述したようにAIイラストを模写のようなものと考えれば、模写に加筆したものは果たしてどのように評価するべきだろうか。どの程度の加筆ならば創作性が認められるだろう。アイデア出しに使う程度なら大丈夫だろうか。いずれにせよ諸問題は変わらないし、程度問題になってくる。
こうして考えると、「創作の補助」と言うにはいささか疑問の余地がある。
少なくともフリー素材であれば、諸々の問題には当たらないし、実際に様々な表現に使われている。上述の例えで言えば、フリー素材は「本物」である。

模写は本物と似ているが、本物より雑に扱えることから、本物の代わりとして使われることもあると思われる。例えば、本物を展示できない場所に模写を展示するなどだ。
これをイラストに置き換えると、手描きよりAIイラストの方が雑に扱える、ということになる。実際フリー素材でない場合、手描きイラストの使用には色々と制限がかかるし、お金と時間もかかる。
一方でAIイラストはお金も時間もかからないし作者がいないのでどうにでも使えそうだが、諸問題が残るため、単純に手描きの代わりには使えない。

このあたり、やはり諸問題の処理が重要になってくるだろう。
参考になりそうなのは、既存の作品を切り貼りして作る、コラージュである。あるいは音楽だが既存の曲をサンプリングするヒップホップなど。このあたりがどのようにして認容されているのか。
ただ、これらは創作性を評価されて認められているのかもしれず、その場合AIイラストの創作性が論点になる。
AIイラストの創作性については散々激論が交わされていると思うのだけど、個人的な感覚としては上述のとおり、創作性はゼロだと考えている。なぜなら作者がいないから。
仮にそうだとすると、AIイラストを趣味以外で大っぴらに使うのは無理筋なのではないかという気がしてしまう。AIイラストをさらに大幅に改変するなどの処理が最低限必要かと思われる。それならイチから描いた方がいいのではという気がやはりする。

まあ、そんな感じで適当に考えてみたけれど、結論としては上述したとおり、「AIイラストには価値を感じない」というところである。
贋作や模写より本物を見たいし、インターネット時代で手描きイラストが世の中に溢れている以上、あえてAIイラストを見たいとは思わない。