映画ルックバックを観た。
6月30日、グランドシネマサンシャイン池袋にて。上映形式はBESTIA enhanced。

原作の漫画ルックバックについては以前にも表現修正の件と絡めて文章を書いたのだけど(今回書く内容と齟齬があったら、一貫性のないやつと笑ってほしい)、基本的に原作は面白く読めた。
ただ、それから時が経って振り返ってみると、実は自分はルックバックが嫌いなのでは?という疑いが出てきてしまった。同じような感情をハートキャッチプリキュアにも抱いているが、要するに、話の筋書きが実は気に食わないような気がしてきたのだ。具体的に言うと後半の展開。
そういう意味で観る前はとてもとても不安だった。トラペジウムを観る前より不安だった。嫌いになってたらどうしよう。嫌いな作品を観続けるのはつらい。最終的には1時間ない上映時間なら耐えられそうだと判断した。
結局のところそれは杞憂だった。そりゃあもちろん心酔するほど好きというわけではないけれど、決して嫌いではない。良かった。

観た感想なのだけど、まずはネタバレ抜きに言うと、原作に忠実な、理想的な映画だったと思う。ただし、これは原作ファンが期待する理想であって、映画として理想的な出来という意味ではない。ただ、映画化ドラマ化アニメ化漫画化小説化、この世の全てのメディアミックスがこのような姿勢で作られた作品だったら、原作ファンの不満というのもなくなるのになと思った。最近は痛ましい事件もあったが、そういうものもなくなるに違いない。
面白かったかどうかについては、普通に面白かった。ただ、それは原作を読んだ時に感じた面白さに由来するものであって、映像化に際した付加価値はあまり感じられなかった。むしろ邪魔だったものさえあり、没入感が阻害されながら観る羽目になった。
観た直後(あるいは観てる最中)に抱いた感想は、「感情の引っかかりがなかった」「感動を消費させようという意図を感じる」「薄く引き伸ばされている気がする」といったもの。見ていて没入できず退屈した面もあり、普段映画を見ていてなかなか飲み終わらないドリンクも、1時間足らずの今作では半分くらいで飲み干してしまった。
正直なところ映像化の意味はあったのだろうかと疑問に思ってしまうような作品ではあったのだけど、まあファンが喜んでお金が動くならそれに越したことはない。

ちなみに多くの原作ファンが気にするであろう修正の件についてだが、映画は二度修正された版、つまり単行本版に準拠している。特典のネームでもそのように修正されている。
修正前の初期バージョンだと勘違いしている人が多いので、一応書いておく。みんなファンの割に単行本買ってないんだろうか?あるいは修正前のバージョンをそんなに覚えていないのか。はたまた何が問題視されていたのかわかっていなくて区別がつかないのか。自分もそんなわかってた自信はないが区別はつく。

というわけで、以下はネタバレを多少交えつつ、主にこの映画の不満についてつらつらと述べていく。基本的にはハイクオリティで原作に忠実で原作の良さがほぼそのまま出ている映画なので、そこを無視するつもりもないのだけど、どうしても原作を読んだ時には感じなかった点、不満が多めになってしまう。

この映画の最大の欠点、それは音楽だと思う。
具体的に言うと、扇情的なトーン(良く言えばエモーショナル)で、音量が大きく前に出てくる。観客の感動を煽ろうと押しつけがましく主張してくる。
この音楽で泣ける人は良いしどちらかと言うと自分も音楽だけで泣けるタイプではあるのだけど、ことルックバックにおいてはすっかり気持ちが冷めてしまった。北風に吹かれて外套を押さえる旅人のごとく、強すぎる音楽から防御反応として距離を取った結果、作品への没入自体が阻害された。そのシーンの感情はこっちの心で解決するから変に煽らないでほしい。
同じような感想を過去にもかがみの孤城で抱いた。これも一部に扇情的で音量が大きいシーンがあって作品との距離を感じた。日本アニメ映画の音楽・音響制作には何かこのような演出の手癖みたいなものがあるのだろうか。あたかも一時期音楽業界を席巻した(らしい)ラウドネス・ウォーのように。ルックバックもかがみの孤城もそうだけれど、いくら扇情的だからといって作曲家が悪いというわけではなく、そのようなオーダーがあった上で、関係者のチェックを経て出来上がるものだろうし、どちらかというと全体の方針の中でそういう風に仕上がっているはずだ。だからそういう業界内の手癖みたいなものがあるのではないかとちょっと疑ってしまう。
エンドロールの歌も個人的には良くなかった。賛美歌をイメージした歌になっているが、エンドロールは静寂の中で藤野の背中とペンを走らせる音だけに絞るべきだったと思う。そこに加えて意味づけするのは観客の自由でいい。賛美歌で彩られる祈りだけが正しいわけではないはずだ。
まあそういう風なことは置いておいても、自分はルックバックにはもう少し硬い映画化を望んでいたのかもしれない。誤用であることを承知で言うと、感動ポルノというワードが観た後頭に浮かんできたのは事実だ(感動を消費させようとしている)。そしてその理由の多くが音楽にあると思う。

作画については素晴らしかった。アナログなタッチを残しつつ、アニメとして破綻なく、かつ藤本タツキの絵をほぼそのまま落とし込んでいるし、終始いわゆる神作画で見応えがある。
なんだけど、まあそれが観てて面白いかというとまた別の話で、自分はこの作画が苦手だった。理由は単純で、キャラクターの顔がちょっとキツかったのだ。キャラクターデザイン段階での問題だと思うのだけど、藤本タツキ絵にわずかに感じるエグ味のようなものが非常に強調されていて、割としんどかった。特にやや大きめになりパッチリした目と心なしかぼってりした唇がキツかったと思う。多分。

ちょっと個人的に好きじゃないかなと思ったのが、四コマ漫画が動いて喋る演出だ。別に漫画をそのまま一コマずつ見せれば良くないか。漫画家の漫画なのに作中作をアニメのルールとリズムに乗せるのは、なんか、せっかくアニメ化したからノルマ的にやってみました、くらいの安直さを感じてしまう。特に冒頭のアニメは戸惑いしかなかった。まあ、四コマ漫画をそのまま見せるだけでは間が持たないという判断だったのかもしれないけれど……。
なんというか、ぼっちざろっくのアニメでギターくんが喋り出すパートみたいな空気感をルックバックに混入されたような感覚があった。

この映画は時間経過演出のようなものを複数回やるのだけど、それも原作の尺のままだと一時間持たない、けれど原作に足し算はしたくない、ということなのだろう。それが功を奏している面は確かにある。原作のイメージを損なわない範囲で、藤野と京本の関係性に説得力を増しているし、画力上達や漫画制作の泥臭さを原作以上に描けていると思う。
ただ、それがなくても原作は成り立っていたわけで、時間経過演出が複数回挟まることで、ストーリーのテンポが変になったというか、薄まった、引き伸ばされたような印象を受けてしまった。

ルックバックの名シーンの一つである、雨の中のスキップについても、正直原作より劣ると思ってしまった。
あれは京本に認められていた喜びがダイナミックに全身からほとばしるシーンで、原作では迫力のある一枚絵で表現されていた。動きの途中のワンカットを切り取った時の変なポーズが、むしろ溢れんばかりの躍動感を感じさせる。
かたや映画では迫力がなくただスキップをするだけといった印象で、アニメでの表現の難しさが出てしまっている。途中で止め絵にすれば……とも思ったけれど、それはそれで演出過剰な気もする。
作画は確かに素晴らしいのだけど、作画だけでは難しいこともあるということか。
もちろん、原作より劣ると感じたからと言って、ひとつの映画として良くないという話ではない。

修正箇所が単行本版準拠となっていたのは良かったと思う。
以前に文章を書いた時、さんざん京アニ事件と結び付けて書いたけれども、別に京アニ事件を受けて描いたと明言されてるわけでもなし(そうだよね?)、とりあえずは切り離して考えることにした。まあ時期内容的に京アニと被るの承知で出しただろと言われればぐうの音も出ませんが……。
そもそも修正のキモであったのは犯人のセリフと言うより「絵から声が聞こえた」という精神病患者を連想させる動機の部分だったので、そこが修正されているバージョンを選んだのは良いと思う。
犯人のセリフについては正直修正前だろうが後だろうが作品内容的にはどうでもいい(自分はルックバックを女女クソデカ感情モノとして受容しており、事件の詳細は大して関係ない)ということを以前にもダラダラ書いた気がするけれど、京アニとルックバックを被せたい(修正を否定したい)原作ファンにとってはパクった云々でないと許せなかったのだろうし、そういう意味では精神病患者にも原作ファンにも配慮した選択だったと言える。京アニ事件への配慮は?……うん……。
まあ、ただ、精神病患者関連で炎上した作品の映画化が、各種割引の効かない(精神障害者も割引されない)特別料金というのはどうなんだろう、とは思った。というかなんで特別料金なんだろう。

上述のとおり自分はルックバックを女女クソデカ感情モノとして読んでいたので、その点でほぼ余計な変更を加えなかったのはとても良かったと思う。ただ原作を先に読んでいる以上どうしても映画の比較対象として原作を引き合いに出してしまう。
原作と比較する限り、映像化において付加された要素が新しい意味付けや面白さを提供してくれているか、が大事になってくる。そして残念ながらそれらの要素は、自分にとって「原作を読めばいいや」で片付くものだった。

そもそも原作からして、京本が殺されるのが唐突で、いかにも感動のためにキャラを殺した感があって、その点はストーリーとしてあまり好きではないのだけど、まあしかしそんなことを言っていたらキャラを死なせて感動させる類の作品が全部ダメになってしまうので、ある程度は受け入れざるを得ない。
死ぬ理由が殺人である必要があったかについては、ifで藤野が犯人を倒す展開のために必要だっただろう。ルックバックの特徴的な点が、四コマを介した現実とifとの交錯なので、そこは外せない。
京本殺害のあたりが、自分がルックバックを嫌いになっているのではないかという不安の原因だったのだけど、改めて映画で見ると、たしかに唐突ではあるもののわりかし受け入れられるなと思った。

あと、映像のテンポで観るとセリフに違和感があるところがあり、京本の死後に藤野が「描いても何も役に立たないのに」と言うシーン、原作だと違和感がなかったのだけど、映画で聞くと唐突に言い出したように感じた。これは本当は原作の時点で唐突なのだろうけど、漫画だから自分の中で咀嚼する余裕があったのだと思う。映画ではスタッフの意図したテンポで食わせられるし、巻き戻りもできないから。

結論としては、面白かったけれど、原作以上のものはなく、気持ちが離れて見ていて退屈してしまったのも事実。
とりあえず今のところは星3くらいとしておく。
★★★☆☆