サブスタンスを観た。6月14日、立川シネマシティにて、字幕版、極上音響上映。
オススメ度★★☆☆☆
面白かった!
面白かったけど、イヤすぎ!グロくてキモくて痛そうで、展開もイヤなので、人にオススメはできないかな!といった感じ。
観たあとの夕飯今食べながらこれ書いてるけど、メシがまずくなる映画!ちなみにセブンイレブンのたまごかけご飯おにぎりを食べている。
映画の中で出てくる食い物も食い方も全部めちゃめちゃ気持ち悪い映し方で気持ち悪い音をつけられていた。
オススメ度星1でも良かったけど、でも面白かったからなあということで。
自分はこういうジャンル(ホラーでいいのかなこれ?)に不慣れなので、けっこう面食らった!
美醜や老いの話は恐怖と結びつくとグロに接続するから苦手……。
テーマ的にはたくさんの要素があって、ルッキズムや家父長制(その内面化)、ジェンダー、老い、親子、高齢者と若年者、セルフケア、とかがパッと思いつくかなと思うけれども、そうした社会性を持っていながら娯楽性の高い作品に仕上がっていたと思う。
ただ、こういう感じの扱い方でいいのか?と思うところもあった。
イヤなだけでなくけっこう笑えるというか、笑っていいのかわからないけどなんか滑稽さを感じて面白い、みたいなシーンもけっこうあった印象で、まあ、BGMで面白くしているところもあったと思う。例えば、エクササイズ番組のシーンとか。
あとは切ないシーンもけっこうあったりして。
以下追記。重大なネタバレあり。
自分は男性でまだ若い方なので、この映画の芯の部分をすくい取るのが難しい。
しかし、色んな人にとって、終盤の展開についての感じ方が色々あるらしい。
つまり、モンストロ・エリザスーのパートについてだ。
ちなみに自分は最初に鏡の端にモンストロ・エリザスーが映った時に本当にビビったのだけど、モンストロ・エリザスー自身もビビったみたいに鏡から一回離れていたなと思い返すと、ちょっと面白い。
モンストロ・エリザスー!と画面いっぱいに出た時は、笑っていいのかわからないけどなんか面白い、でもイヤすぎて笑えない、みたいな感情だった。
自分がモンストロ・エリザスーを観ていた時の感情は、痛々しい、かわいそう、見たくない、という気持ちが七割くらい。残り三割は不思議な温かい感情だった。
つまり、モンストロ・エリザスーになって、髪をセットしピアスをつけて外出する姿に、初めて何を憂うこともないエリザベスの純粋さと解放感を見た思いだったのだ。
それは鏡の前にへばりついて外出できず化粧をグシャグシャに崩していたエリザベスとは対極の境地。あの化粧を崩すシーンとそのあとのしょんぼり座り込むシーン、本当に辛かった。
そうして自らの中にあった自らを苛むものから解放されたモンストロ・エリザスーには、かわいらしさ、いじらしさのようなものも感じた。
だからこそ余計に痛々しくて可哀想だという気持ちが増してしまった。彼女は確かに精神的には解放されたかもしれないが、彼女が自分の行くべき場所、自分の居場所だと思って向かうところは、彼女を決して受け入れてはくれない。見え見えの悲劇に自ら突き進む人を見るのは辛いものがある。
しかしモンストロ・エリザスーは驚くことに大晦日の特番に堂々と登壇することに成功する。なんであれで止められないんだというのは置いておいて。
そこで正体がバレても「私よ!エリザベスよ!」と呼びかける姿は本当に痛々しかったけれど、鑑賞後に咀嚼してみると、あそこで自己を表明して受け入れてもらおうとするのも、自己に対する肯定的な認識があったからかもしれない。
そして最後には暴力によって傷つけられた結果、体から噴出する血液で会場を血まみれにしていく。この映画で最も印象的でことによっては滑稽に映るシーンだろう。人によってはこれを復讐とみていたし、その後監督の話を聞いても、復讐の意味合いはあったのだろうと思う。
ただ、観ていた時の自分は、これは真に自由を得たというシーンなんだろうなあと感じていた。
血が出ているのは女性が社会的に傷ついているとか、あるいは生理的な面もあったかもしれないし、どちらにせよそのような女性にまつわる表現で会場、とりわけ男性性を象徴するプロデューサー含む観客たちを血まみれにする、というのを痛快だと感じたのは否定しないが、それよりも自分は、血の勢いに任せてか、クルクルとステージ上で回り続けるモンストロ・エリザスーを観て、自分の居場所と信じた華やかなステージで自由に踊り続けているようだと思った。
鑑賞後にサブスタンスのOSTをサブスクで探すと、その中の曲名に「Pirouette」、ピルエットというものがあった。バレエのクルクル回るやつだ。つまり、やはりあれは踊りだったのだ。
自分は踊りにはポジティブな印象を持っているので、やはりあのシーンは自由と解放のシーンで、少なくともモンストロ・エリザスーというキャラクターの中では、復讐という気持ちはなかったのではないかと思っている。テーマ的には、自由と解放には出血と復讐が伴うのかもしれないが。
なので、人によっては、ここでもっと苛烈な描写で復讐をして欲しかった、いっそプロデューサーを殺しても良かった、と言うふうな感想も見かけるのだけど、あまり復讐に描写が寄りすぎると、モンストロ・エリザスー自身の内面との乖離が生まれてしまうのではないかと思う。
その後モンストロ・エリザスーは崩れ落ち、自らのウォーク・オブ・フェイムまで這いずったあと、そこから見上げた夜空とヤシの木を眺めながら満面の笑顔で絶命する。
このあたりに特に自分なりの解釈は持たなかったが、少なくともポジティブな印象を受けた。つまりはハッピーエンドだ。
なので、モンストロ・エリザスーのパートは、展開こそ外的評価とのすれ違いと摩擦による悲劇が起こっているが、キャラクターの内面的には終始解放感のあるポジティブなストーリーだったのではないかと思っている。