かがみの孤城を観た。簡単に感想を書く。なお原作は未読。

と、その前に一言……この映画、第1回入場特典でポストカード入り封筒を配布しており、これをアップする頃にはもうどこも配布終了していると思うのだけど、封筒には「必ず鑑賞後に開封し」「SNSへのアップは禁止」と注意書きで指定されている。
幸い、三が日に鑑賞し、行った劇場では特典は残っていた(その時でさえ特典が残っている劇場は少なかった)。中を見てみて、注意書きの意味もわかった。
その上で言いたいのだけど、これ、映画内に入れといてくれんか????数量限定の入場特典でこれはいかんでしょ。近年入場特典の価値を上げまくる悪習があるけど本当に客のことを考えていなくてよくないと思う。
そういう気持ちが通じたのか、1月20日上映分から、本編後に第1回特典内容を上映するらしい。それでいいんだよ……。
第1回特典の内容については、ネタバレありの部分で後述する。

内容については、大雑把に言うと、ストーリーは面白かったけれど、作画や劇伴、演出に違和感があり気が散ってしまった。特に劇伴。
子供時代を本郷みつる監督と原恵一監督の映画クレヨンしんちゃんで育った身としては、原恵一監督はもっとカッチリまとまった映画を作る印象を勝手に持っていたので、ビックリしてしまった。クレしん後の監督作品は見ていないのだけど……。

ストーリーについても映像化にあたって省略されていると思われる箇所が多く、それ自体は映画としてそこまで違和感がなかったのだけど、映画が気に入ったら原作を読むべきな気がする。消化不良な点も多いので。
原作は未読なのだけど、この映画の魅力の大半が原作ストーリーによるものだと感じた。ストーリーをある程度ちゃんと楽しめる時点で映像化としては成功の部類なんだと思うけれど、上記の面で違和感があり、もっとよくできたのでは?という惜しさが拭えない。
ちなみに自分は中学時代に不登校でフリースクールに通っていたので、不登校児と縁がなかった人よりは解像度高めで鑑賞できたと思う。

以下、ネタバレを含む。まずはネタバレクッションとして、作画と劇伴について書く。

作画については、動きに違和感のあるシーンがところどころあった。
日常会話の多い映画なので、別に作画枚数や描き込みが多ければいいというものでもないのはわかっているけれど、動きのシーンは枚数や位置感覚が気になる。
キャラクターデザインが可愛い分、顔の作画にもよく目が行ったけれど、こちらは特に大幅な違和感はなかったので良かった。表情の機微もよく表現されていたと思う。
直前にすずめの戸締まりやスラムダンクを観てしまっていたので、あちらに比べるとさすがに作画は見劣りする。近年見たアニメ映画の中でも枚数が少ない気がするので、ちょっと低予算気味のアニメ映画なのかな、という感想を持った。
とはいえこの落ち着いた内容からすればクオリティは十分だとは思う。

劇伴は結構違和感が大きかった。
まず、音が大きすぎるシーンがある。音量なのか音圧なのか、なんにしても、この映画はそんなにスペクタクルな作品ではなく抑制されたトーンの作品なので、音楽が大音量で盛り上がると、なんか音楽だけ勝手に盛り上がってんなという気持ちになる。
曲調についても似たような印象。微妙な邦画にありがちな気がするが、音楽だけで盛り上げようとし過ぎて一人だけ先走っている。そこまで壮大な劇伴でなくてもいいのに……。
例えば冒頭、初めて城の全体像を映すシーンで既に音楽が浮いている。盛り上げるまでの溜めがなく、曲調や音量も大仰すぎる。城の壮大さを初披露するにしても過剰演出だと思うし、そこを譲ってももう少し溜めはほしい。絵の力で盛り上げることを音楽が信用していないような気がする。
また、アキの記憶のシーンでエレキギターを使った奇妙な曲が流れたのがかなりミスマッチで、1度目の鑑賞時は何の音なのか耳を疑ったほどだった。2度目の鑑賞でようやく音楽だと認識したけれど、やけに古臭く陳腐に思えた。ここの曲は特に悪目立ちしている。
こういういくつかの(その多くは盛り上げどころの)シーンで、映像と音楽が同期していないように見え、バラバラのものとして認識される。それは曲の雰囲気や音量のミスマッチだったり、溜めがないことによる時間差だったりする。
この映画は抑え目の劇伴でも成立する作品であると思ったので、一部の劇伴が悪目立ちしたのは本当に惜しいと思う。せめて音量下げて……。
原監督はこの音楽担当の富貴晴美さんを全面的に信頼してタッグを組んでいるらしいのだけど、その信頼関係ほどには作品は調和できていないように思われる。

ストーリーについてはまあ、原作から省略されたところがかなり多かろうとは思うんだけれど、とりあえず原作未読の状態で映画を観た感想ということになる。

上述したように、自分は中学時代の後半は不登校でフリースクールに通っていた。フリースクールがかなり遠かったこともあり、高校入学後は通わなくなってしまったのだけど、フリースクールで遊んでいた友達もいたし、居心地はけっこう良かった。フリースクールの行き帰りでスピッツを聴きながら、帰りには時々ケンタッキーでツイスターを買うのが楽しみだっ。年下の男子たちと卓球をよくやっていた。先生は穏やかだったけれどあまり印象に残っていない。フリースクールで一緒だった女子が、その後同じ高校の同じクラスになったりもした。
その後も不登校気味だったり不登校児と縁があったりしたのだけど、自分語りはここまでにしておく。

さて、この映画は要するに居場所としてのフリースクールの映画とも言えると思う。それは喜多嶋先生だけの話ではなく、かがみの孤城自体が擬似的なフリースクールとして機能している。
なんにしても、子供たちが日中孤城に集まって自由にゲームや勉強、集団行動をしている風景はフリースクールのそれと変わらないもののように自分は感じた。来るのも来ないのも自由。ただ、そこには居場所と呼べるものがあり、行けばそこに居ることを拒まれない。学校にも家庭にも心から安心できる居場所がない、そんな子供たちの居場所だ。
かがみの孤城と実際のフリースクールの違いは、職員(先生)がいないことと、恐ろしいルールの存在である。
フリースクールの職員は学校や家族と連携する役割もあるので、かがみの孤城は直接それら現実の問題への対処はできない。孤城でできた友達も現実世界では関われず、そのかわりに孤城には願いを叶えるチカラがあるが、結局はそれも役立てずに終わる。
ただし、孤城に通った一年弱の間は孤城の記憶がある状態で過ごしているので、その間に進展した出来事は、孤城という居場所の意義を示している。こころもアキたちに秘密を打ち明けられなければ、母に打ち明けることもなかっただろう。失敗はしたものの、現実世界で助け合う試みも行った。彼らは孤城という居場所の中で現実と戦っているのだ。

一応、こころが主人公ではあるのだけれど、主役級のキャラが他に2人居る。リオンとアキである。この2人のみ、孤城消失後も記憶があるように思わせる描写がある(ちなみにこころは記憶をなくしていることがパンフで監督から明言されているほか、後述の入場特典ではウレシノも記憶があるようなないような曖昧な描写がなされている)。

リオンは孤城の秘密に深く関わる人物で、一人だけ不登校児ではない。つまり実は話の中心であり、不登校児たちも彼のために配置されたものなのだけれど、不登校児たちにとってもある種の救いとして存在する。
中盤、不登校児の中で見下し合いが発生する。同質の集団の危うさを示すこのエピソードの中で、特殊な身の上をリオンが明かすことで、彼らは「不登校児の集まり」という自ら貼りかけたレッテルから逃れられ、個人としての各々に目を向け始めるのである。
最終的に、リオンはこころに対する救いとして現実世界に現れる。冒頭こころがモノローグで語った奇跡の担い手として。これが非常にこころにとって都合のいい描かれ方で、リオンに記憶が残っていると思わせる原因である。それはオオカミさまが善処すると言ったので特に不自然ではないのだけど。
そして主役のこころを差し置いて、映画のラストはリオンと姉ミオの(存在しない)思い出の追憶で終わる(そもそも映画冒頭もミオから始まる)。後述する入場特典でも、こころより登場回数が多い。
しかしどうもリオン自身はその重要な役回りの割にあまり背景を掘り下げられていないというか、描写の数が少ないように感じる。多分これは尺の問題だろうと思う。原作ではもっとミオや家族の関係などが掘り下げられているんだろう。

アキは今作の孤城パートを引っ張るキーパーソンで、境遇としてもメンバー中最も辛い環境にある。彼女は家に居場所がないどころか、父(義父?)からの性的虐待の危機にすら晒されている。
安心できる場所が孤城にしかなく、それはオオカミに食われるという仲間たちを含めた命の危機よりも優先される。孤城の終わりの日直前ということを考えれば、アキのとった行動は最後の居場所での自殺と言える。
不登校児は学校に行かないという行動の結果、往々にして家庭内でも居場所を失う。それは本人が抱える後ろめたさだったり、家族の無理解・不和という実際的な問題だったりもする。こころもいじめの事実が発覚するまでは不登校児特有の親との不和がリアルに描写されている。しかし、アキの場合はそういう次元ではない。典型的な不登校児だけでなく、居場所のない子供たちのまた別の姿を表現したものかもしれない。
性的虐待の危機からはミオの助けで逃れられたが、孤城での出来事はアキの境遇を何も改善しない。記憶をなくしてしまえば前向きに生きる糧もまた失う。
このあたり、アキの記憶の有無で解釈が変わってくるのだけど、劇中では記憶が残っているかのような描写で終わる。オオカミさまはアキの記憶については何も言っていなかったのだけど。
ここも原作を読んだ方がいいんだろう。

総合してこの映画は、ラストで記憶がなくなるという展開の都合上、想像の余地を大量に残して終わる。その消化不良感みたいなものもあるのだけど、全てを劇中で説明するのも野暮かもしれず、尺とかも考えるとこれでいいんだろうと思う。
個人的には、みんな記憶が残ってた方が好きなのだけど。記憶がなくなるルールというのは物語上意味があるけれど、最終的にリオンに対しては善処するという言葉を引き出したのだし、それができるならみんな記憶が残っててもいいのではないか。

アキと喜多嶋先生が似てないのは、作品的な都合もあると思うのだけど、まあ、特に眉毛なんかはいくらでも変わるものなので、ずるいとは感じなかった。

最後に、入場特典について。
封筒の中身は簡単に言えば後日談(その後の風景)である。孤城での出来事の後、彼らがそれぞれの時代でどのように関わったのかが一枚絵で描写されている。2枚組で3パターンのランダム封入であり、つまり合計6枚ある。
映画のストーリーで省略されてるのではないか?と書いたところの一つがまさに後日談で、彼らがその後どうなったのかはこころ、リオン、アキの三人しか描かれない(厳密には昴も孤城の時点で仄めかされてはいる)。人数も描写量も足りず、観た後めちゃくちゃ欲求不満になる。それで鑑賞後封筒を開けたらこれである。
狙いとしては鑑賞後に封筒を開けて感動追撃といったところなのだろうけど、むしろ、この内容も全部エンドロールに入れといてくれ〜〜〜〜〜〜〜!!!おばか!!!という気持ちがめちゃくちゃ出てきた。あのさあ!!!それは数量限定でやることじゃないんだって!!!おまけに2枚組3パターンランダムという鬼畜。3パターン!?百歩譲ってもせめて3枚組2パターンにしろ!!!ドツボに入ったら永遠に揃わないんだから!!!
リピートさせたいんだろうし、まんまと乗っかったけど、この手法はマジでどうかと思う。
というわけで、1月20日以降の上映はこの内容を本編後に上映する、いわば完全版と言えるだろう。円盤化の際には同様に特典内容を含めてほしい。
ちなみにセットの内容は以下の通り。

セット1:2014年(全員)、1998年(リオン、アキ、ミオ)
セット2:2006年(こころ、リオン、アキ)、2013年(マサムネ、スバル)
セット3:2007年(こころ、リオン、ミオ)、2028年(ウレシノ、フウカ)