感動して泣いたけどよくわからん!というのが本音。
俺は雰囲気で映画観て泣いたりしている。
この監督の作品はスイスアーミーマンを前に観てあれもたいそう感動したんだけど、あれはひねってるように見えてだいぶ素直な映画だったんだなと思いました。

グランドシネマサンシャイン池袋のIMAXレーザーGTで見たのだけど、思ったよりもIMAX画角が多くて驚いた。レーザーGTとかで見る必要まではないけれど、画角ギリギリにキャラが配置されてたりしたので、IMAX鑑賞がオススメではあるかな。IMAXで見なければいけないタイプの映画ではないけれど。

以下ネタバレ含む。
とはいえよくわからなかったのであんまり書くことがない。

まず、なぜよくわからなかったのかというと、複数のバースを行き来しながら、それぞれのバースの設定で同時並行しながら話が進行するのだけど、エヴリンとジョイ(ジョブ・トゥパキ)が全てのバースに意識を飛ばせる(遍在もできる?)ので、今話してるのがどのエヴリンとジョイなのかが判然としない。
主な舞台になっている基本世界のエヴリン(アルファ・ウェイモンドの言うところの最も失敗しているエヴリン)のストーリーが基本的にずっと描かれているのだけど、そこに各バースのエヴリンの人生が絡んでくる。それだけならいいのだけど、劇中で、基本世界のエヴリンが各バースのエヴリンに影響するシーンがあるほか、エヴリンとジョブが複数のバースで会話を重ねたりバトルしたりする。
例えば終盤の、ベッキーをガールフレンドと紹介したバースでは、会話しているのがこのバースのエヴリンとジョイなのか、基本世界のエヴリンとジョブなのか、それとも混合的な描写なのか、よくわからない。まあ、はっきり区別されている必要があるかと言われれば特にないのだけど、見ていて結構引っかかりになった。
タイトルになぞらえるなら、全ての世界の全てのエヴリンが一緒くたに混ぜ合わされて同時に一気に展開していくため、混ざり合ったカオスに頭がついていけないという感じ。

あとはシンプルに話の理解が及ばなかった面がいくつかあった。
例えば基本世界のウェイモンドに対して、途中で「ついて行かなければよかった」みたいなことを言ってショックを与えるのだけど、そのあとこの問題は物語的に回収されなかったように思う。ウェイモンドで言えば離婚届とか刺されたとかもそうだけれど、マルチバースでごちゃ混ぜに物事が解決していく中で一部の問題が有耶無耶になったような印象を受ける。
こういうのも別に明示的に解決する必要はないのだけど(あるいは自分が気づかなかったのかもしれないけれど)、見ていてずっと気になってしまうので、ノイズではあった。
また、最後の方はアルファ・ゴンゴンと思われるゴンゴンとその一派がジョブ側についてエヴリンを阻むのだけど、アルファ・ゴンゴンはジョブと敵対していたのにどうしてそうなっているのかがよくわからなかった。せっかくベーグル自殺してくれるんだからみたいなことだろうか。
そういえば結局ベーグルはどうして消えたんだろう。基本世界にベーグルが出現した瞬間は、もう世界がぶっ壊れていくみたいなイメージだったのだけど。
あと全体的な話として、抽象的な表現とストーリーが飲み込みづらかった。

楽しめた点としては、まずバース・ジャンプ時に変なことをしないといけないのがやはり面白かった。劇中でなんと呼ばれてたか覚えてないけれど、踏み台ポイントとか言ったかな。違うかも。
大真面目に変なことをやるギャグというのはやっぱり面白いもので、アナルプラグ型トロフィーを奪い合うようなシーンは素直に笑えた。ただアナルプラグを尻に入れるというだけなら下品なだけなのだけど、戦いの中で能力を発揮するのに必要なのだからもう必死である。その必死さが面白い。こういう方向性のギャグは映画版クレヨンしんちゃんなんかでままある。

冴えないおばさんのエヴリンがカンフーマックスで戦うのは予告の時点でわかっていたけれど、期待通りの面白さだったと思う。

別バースの中ではアライグマのコックのバースが良かった。コック帽を取られて秘密をバラされたシーンや、アライグマが運ばれていくシーンはひどくて面白かった。あのバースでは物語としてはエヴリンではなくアライグマとコックの方が主役だと思うのだけど、あっちの立場に立ってみるとエヴリンが情緒不安定過ぎて笑う。アライグマを連れて行かれた後の2人が話すシーン、悠長に座って話しているから連れて行かれた翌日とかなのかと思っていたら、走って追いつけるほど直後だったのも面白い。マルチバースの影響を受けたとはいえ、あの世界のエヴリン客観的に見てヤバすぎる。
手がソーセージのバースはキモさが勝ってしまった。あのバースではディアドラと同性愛なのも、別バースでのディアドラの過去とか、基本世界でジョイの同性愛を受け入れきれずにいるところとかを考えると、テーマ的に味わい深くはあるんだけれど、手がソーセージなキモさが勝ってしまった。

あとはやはり普通に泣ける映画だったというところか。
上手く行かない人生の中で、有り得たあらゆる可能性を目にしてしまうことの残酷さみたいなものがひとつ。あらゆる可能性を目にする(想像する)と、現実の自分がひどくちっぽけでみじめな存在に思え、目の前の問題に集中できず、場合によっては自暴自棄になる。どのバースに行っても、そこで生きるのは本来的にはそのバースの自分であり、今の自分自身ではない。そういったところが、駆け落ちを後悔するエヴリンや、ひょっとすると全てに絶望したジョブにも通じる要素かもしれない。
家族ものとしても、ウェイモンドの優しさやゴンゴンとの関係、母娘のわだかまりと言った要素が涙を誘う。
エヴリンとウェイモンドはドラマチックな駆け落ちで結ばれたことが描かれ、つまりラブストーリーの後日談的な要素も持っている。結ばれたあと上手くいかなかった後日談というのは着想としてはありふれたものだけれど、マルチバースを使って、結ばれなければ成功したという世界を見せることで、一味違うテーマ性を帯びたと思う。結ばれなかった世界のウェイモンドと接することで、それまで気づかなかった(というより疎んでいた)ウェイモンドの一面が際立ってくる。

とりあえず思いついたのはそんなところ。
結局、面白かったけどよくわからなかった。よくわからなかったけど泣けた。

ラスト、家族でジョイを引っ張るシーンは、最近かがみの孤城を5回も観たせいで、あっちのシーンと重なって見えてしまった。シチュエーションがわりと似ている。日本も海外も、発想は同じようなものか。