シャザム!神々の怒り、つまりシャザム2を観てきた。

一応池袋のIMAXレーザーGTで観てきたのだけど、IMAXが効いているようなシーンはとくに思い当たらなかったので、上映方式には特にこだわらなくていいような気がする。

ネタバレ抜きでの感想としては、かなり面白かった。アメコミヒーロー映画に求めてるものが全て詰まっていると言っても過言ではない。
アメコミ映画では昨年観たブラックアダムが、昨年の映画通しても上位の面白さだったのだけど、シャザム2はブラックアダムに勝るとも劣らぬ出来だった。
今年は待ちに待ったDCの目玉作品としてフラッシュが控えているのだけど、フラッシュがシャザム2と比べて見劣りしないか不安になるくらいだ。

シャザムはDC映画の中ではコミカルさが持ち味のヒーローだ。今作でもそれは遺憾無く発揮されている一方で、前作同様、等身大の子供・家族ものとしての一面も持ち合わせている。デッドプールシリーズとどこか雰囲気の似たユーモラスな描写でニコニコにさせつつも、家族の絆や、ヒーローとは何かという問いかけも忘れずに熱くさせてくれる。
DC映画ファンへのサービスも他映画以上にこなす。
CGアクション映画としても、見映えのあるCG描写を繰り出してくる。前作から明確にグレードアップした点のひとつだ(前作はこの手の映画としては低予算気味だったらしい)。
コミカルなアメコミ映画という属性に似合わず、細かいところまでサービスの行き届いた丁寧な映画だと感じた。

というわけで以下ネタバレ雑語り。

いや、予告編見たときはなんか期待できそうにないなと思ってたんですよ。悪役もなんか言っちゃ悪いけど冴えないおばちゃんに見えるし。
見終わってみたらおばちゃん達良かったですね。全然一枚岩じゃないのがいい。まあ一人はおばちゃんじゃないのでアトラスの娘と書こうか……。
一見足並み揃っていたアトラスの娘(ていうかヘスペラとカリプソ)それぞれで実はスタンスが違っていて、結局仲間割れに至ってしまうあたりは、まとまりはないけれど繋がりあっているビリーたち家族との対比になっているのかなと。
ビリーとヘスペラ、フレディとアンが対比的な関係にあるとすると、カリプソは(当然ビリー側には該当する人物はいないわけだけど)何にあたるんだろう。まあ考えすぎか。

あとアンの軸を操る力はすごく見栄えがしてよかった。あれもまあ言ってしまえばインセプションとかドクターストレンジ1とかで似たようなことは既にやっているんだけれど、新鮮味がなくともただ見ていて楽しいですね。今作のCGで良かったところ。

ラドンの造形も予告編で見た通りでよかった。ラドンは登場シーンも多くて満足でしたね。恐怖を発するという能力も独特で面白い。普通の炎も吐くけど。
モンスターたちは前作を彷彿とさせるというかそこまで造形含め目を見張るようなものでもないんだけれど、最強のモンスターがユニコーンというのはちょっと面白かった。お菓子で手なずけたユニコーンに乗ってモンスターを追い立てるの、たぶんこっちが知らないユニコーンに関するミーム的なユーモアがありそう。

物語の始まりが前作の一見取るに足らない出来事(杖を折って捨てる)にあるというのも続編物としてうれしいところ。なかなかこういうのやってくれる映画は少ない気がするのだけど、ここを押さえてくれるとグッと前作の話の続き感が増して嬉しくなる。

ギャグはクスクス笑えるところは結構あったし劇場内でも観客のクスクス笑いがけっこう漏れていたのだけど、やっぱり、家族の名前を言わせようとするカオスの力にフレディが必死に耐えてるところでビリーからの手紙が届いて、ヘスペラがそれを読み上げるシーン。もう笑いをこらえるのが大変だった。スティーブが筆記したどうでもいい一言(そしてフレディが頑張って隠そうとした名前)が挟まるたびにこみ上げる笑いがあった。
フレディのヒーローたる精神がしっかり描かれるいいシーンの後だし、その努力が台無しなシーンでもあるので、フレディには申し訳ないのだけど、より一層のおかしみがあった。

フレディは今作で第二の主役と言っていいフォーカスのされっぷりで、大切な人のためにカリプソのカオスに耐えラドンの恐怖に耐えと超人的な精神力を見せつけて、そりゃアンも惚れるわという活躍。活躍とは言いつつも、実際にそれがなにかに繋がった訳ではないのだけど、作品のテーマを象徴しているという点で意味があるだろう。
問題は観た後でそのテーマを忘れてしまったことなんだけど……スーパーパワーではなくあなた自身がパワーある存在というような話だったと思う。
本作ではビリー以外の全員がシャザムのパワーを剥奪され、ビリーも冒頭からスーパーパワー抜きの自分自身に思い悩んでいる。ソロモンの知恵は本当にどこいったんだろうね。そんな中でも人々を救うために奔走する、自己犠牲を行う、そこにヒーロー性があるんだという話……だったと思う。多分。

ビリー役のアッシャー・エンジェルが成長したのとは関係なく、ビリーももう18歳になり、子供ではなくなりつつある。里子制度からこぼれ、大人になることへの恐怖が両親に捨てられたトラウマと重なり、家族との別れを感じさせる。その恐怖が冒頭、ローザを母と呼べないことに表れ、家族に依存し束縛しがちなリーダーの方針にも表れている。
フレディとアンの関係と比べて、ビリーの方は少し掘り下げが足りないような気がするけれど、これで必要十分かもしれないとは思う。ビリーはビリーなりに恐怖の中で目の前のことを頑張っているのであって、必要なのは終盤の魔術師と両親との対話だけだったのではないか。

魔術師は前作でもだいぶ変なキャラで(だいたいお前が悪くねみたいな感じで)印象に残っていたけれど、今作で本格的に表に出てくると、これまた変な面白おじさんだった。というか存在感の割にまた大したことしてない気がする。解説役か。
そういえば今作は魔術要素が前作より強かった気がする。空飛ぶ図書と意思のある自動筆記ペンなんかは魔法使いっぽかったし、終盤杖を持って戦うシャザムなんかはそういえば元々魔術師だったわと思い出させられた。

あとはやっぱりワンダーウーマンか。
夢の中のワンダーウーマンは顔が一向に出てこず「また前作のスーパーマンのパターンか……」と思っていたら魔術師の顔になるというギャグで終わったけれど、まさかあれが伏線で、本当にガル・ガドットのワンダーウーマンが出てくるとは。宣伝のネタバレをくらっていなかったので、本当にいいサプライズだった。神要素をきちんと絡めてくるのも良い。でもワンダーウーマンのテーマは流れる度に笑ってしまう(BvSでの初登場時が面白すぎたので)。

伏線といえば、伏線なのかわからないけれど、夢から目覚めたビリーの目の前で、ドーム状のおもちゃ?が内側からの放電で破裂するシーンがあった。あれは単に不吉な予兆の描写かと思っていたら、終盤ドームの中で杖に雷を集めていくのがそのまんまの描写で、ちょっと驚いた。
意識しないところで他にも色々と伏線を張られていたのかもしれない。

ポスクレは今後のDC映画の展開を考えると微妙な気持ちにならざるを得なかった。ジャスティスソサエティは好きだけれど、どうなるんだろう。エミリア・ハーコートとアマンダ・ウォラーはジェームズ・ガン作品に入れ込まれているので、ジェームズ・ガン体制のいわゆるDCUでも引き継がれるのだろうか。そうなるとその2人と関連の深いジャスティス・ソサエティ、ブラックアダム、そして今回のシャザムも何らかの形で存在は続投するのか。
シャザムが引き継がれると考えた場合、気になるのがポスクレに登場したミスターマインドだ。あの芋虫。シヴァナをひたすら待たせ続けて放置するオチ(つまり今後の展開はどうにでもなる)のように見えるけれど、何らかの形で今後絡んでくることもあるのだろうか。こればかりはジェームズ・ガン次第かと思うのだけど。
結局ジェームズ・ガンがDC映画をどうしたいのかがよくわからない。いずれ見えてくるのだろうけど、アクアマン2やブルービートルの頃にはせめてもう少し明確であってほしい。
個人的にはジェームズ・ガンがそんなに好きなわけではないので、DC映画はむしろ、これまでようやく良い方向で作品展開でき始めたところを、ジェームズ・ガンの改革により再び先行き不透明な状態にされたような印象が強い。ブラックアダムと今作でよりそういう印象が強まった。

アメコミ映画、MCUも盛り下がり中で、DCもこんな調子というのは中々辛いところではあるけれど、作品展開さえ気にしなければ、DCから良作が立て続けに出たのはいいことだ。今後のDC映画にも期待していきたい。